人は陰謀論が大好きです。
呉座勇一氏の著書「陰謀の日本中世史 (角川新書)」ではさまざまな陰謀論が書かれています。
この本は日本の中世(平安時後期から戦国時代)を舞台に、様々な陰謀論を解説した本です。といっても「◯◯は◯◯の陰謀だ」と決めつける本ではありません。
むしろその逆です。
世の中で出回っている陰謀論を否定した内容が多いです。陰謀論の矛盾点やおかしい点を指摘して「そんな陰謀は成立しない」と、陰謀論を切って捨ててる内容になってます。
バカバカしい陰謀論にうんざりしている人には愉快な本ではないでしょうか。
この本を読むと陰謀論にはいくつかの法則があることがわかります。陰謀論者(陰謀論を主張する人)はどのようなやり方で人をだますのかみていきましょう。
陰謀論の法則
著者が紹介している陰謀論を陰謀論の法則としてまとめてみました。
加害者(攻撃側)と被害者(防御側)の立場が実際には逆
陰謀論の基本中の基本。もっともお手軽な方法です。でもお手軽なだけに乱用すると説得力がなくなります。
例えば、逮捕された人が「私は検察・警察に嵌められた被害者だ」「国家の陰謀だ」と訴える人がいます。でもそういった言い訳はウソの場合が多いです。
この本にもいくつか「加害者と被害者が逆転した」例が載っています。でも中世に限定しているのであまり有名でない事件が多いですね。
比較的有名だと思われるのが豊臣秀次切腹事件でしょうか。
豊臣秀次が切腹したのはなぜ
豊臣秀吉は「豊臣秀次が謀反を働いた」として高野山に幽閉して切腹させました。しかし現代の研究では秀次は謀反は起こしていない。濡れ衣だったことがわかっています。
最近では「秀吉は秀次を殺すつもりはなかったのに秀次が勝手に切腹した」という説があります。この説では秀吉が被害者になってしまったのです。これも陰謀論といえますね。
秀吉はあからさまに切腹命令は出したくなかったのかもしれません。でも秀次にいてほしくなかったのは確かでしょう。だから様々な圧力をかけています。最終的にどうやって自害に追い込んだかについては議論の余地があるでしょう。でも秀吉は殺すつもりはなかったのに秀次が勝手に自害したというのは無理があります。
この本には書かれていませんが。もっとわかり易い例をあげると。蘇我氏は悪人じゃない、いい人達なんだという説があります。大化の改新(乙巳の変)で殺害された蘇我氏は被害者。中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターを起こして蘇我氏から権力を奪ったのだ。というのがあります。これなんかも典型的な陰謀論ですね。
善悪の評価が逆転しているのはプロの研究者の学説でもよくあることです。新説をつくるのにお手軽なのでよく使われる方法です。
結果から逆算した陰謀論
事件の犯人を探すときに
「事件で最大の利益を得た人が真犯人」
と考える人がいます。この方法は事件の犯人を見つけるときにはそれなりには役に立つこともあるのですが。歴史上の事件には役に立たちません。
本能寺の変は豊臣秀吉の陰謀か?
本能寺の変のあと一番出世したのは豊臣秀吉です。だから「本能寺の変の黒幕は豊臣秀吉だ」という説があります。
でも当時の状況を理解すればそれはありえないことがわかります。信長のおかげで得をしているのが秀吉だからです。信長がいなくなれば下手すると明智光秀や柴田勝家が主導権をとってしまって秀吉は地位を奪われるかもしれません。
秀吉が信長をわざわざ殺す必要性はありません。秀吉が天下を取ったのは事件後の立ち回りがうまくいっただけで、結果論なのです。徳川家康が黒幕というのも同じですね。
関ヶ原の合戦は徳川家康の陰謀か?
徳川家康は反対勢力をあぶり出して一網打尽にするために関ヶ原合戦を仕組んだ。と主張する人もいます。でもそれも結果論。家康は上杉討伐を考えていた。用心深い家康ですから石田三成が反乱を起こすことは考えていたでしょう。
でも10万を超える規模の反家康軍が結成されるとは思っていなかったようです。だからこそ石田三成決起の報告を聞いてもすぐには西には向かわずに、調略工作を進めた上で西(結果的には関ヶ原)に向かったのです。
関ヶ原合戦で家康が天下をとったからといって、関ヶ原合戦が最初から反家康軍を潰すための陰謀と考えるのは無理があるのです。
推理小説のテクニックは歴史には通用しない
「最大の利益を得た人が真犯人」というのは、筋書きのある推理小説だから通用するテクニックです。当たり前です。最初から真犯人を設定して、そこから物語を組み立てているのですから。
でも現実には最初から結果を分かっていて歴史を動かすことなんて出来ません。それができれば誰も苦労しません。
「最大の利益を得た人が真犯人」は、予測不可能なことが起こる現実世界では役に立つ考え方ではありません。
この陰謀論は作家がよく使う手ですが、それは作り話だからできることなのです。作家は自分のテクニックに酔ってしまって現実が見えていないことが多いです。もちろん儲けのために陰謀論を組み立てている場合もあるでしょう。だから歴史小説や作家の書いた歴史本はこのような陰謀論で溢れてしまいます。
因果関係の単純明快すぎる説明
人はわからないことがあると不安に思います。
そんなときに「わかりやすい説明」があると「そうだったのか!」と納得してしまいます。
「論理の飛躍」も陰謀論の特徴です。状況証拠だけで犯人を決めつけるようなものです。曖昧な証拠だけしかない。でも、途中経過を省いて、いきなり結論を出してしまいます。本当は複雑な事情があるのに無視してしまうのです。
作家だけでなく歴史学者もこの手の説をよく考えます。
例えば公家が日記に「秀次が高野山に行った」と書いてあるだけでは、秀次が自分の意志で行ったのか秀吉の命令で行ったのかはわかりません。でも歴史学者は「秀次が自分の意志で行ったのだ。だから秀吉は悪くない」と決めつけます。一次資料があるから正しいとは限りません。解釈の仕方でどうにでもなるのです。
人は自分の知らないことを知らされると、意外とあっさりと騙されます。「自分はだまされないぞ」と思ってる人も騙されます。
陰謀論はそんな人の心理をうまく利用した方法なんですね。詐欺に近いです。
「わかりやすい理屈」は分かりづらいけれども重要なことを省略している場合もあります。責任をだれか一人だけに押し付けることにあります。途中経過が省略されているので、犯人が見当違いの人になってもわかりません。
だから「わかりやすい説明は危険」なのです。
責任の転嫁
陰謀論者は責任を批判する人に転嫁することが多いです。
陰謀論者ははっきりとした証拠を出していないのに、「それはないだろう」という人に対して「ないことを証明しろ」というのです。
説明責任を相手になすりつけるのが陰謀論者の特徴です。
ないことを証明することは不可能に近いです。ひとつを否定しても、もしかしたら他にはあるかもしれないと思うからです。
いわゆる「悪魔の証明」です。
わかり易い例では。「UFOが宇宙人の乗り物」だと証明できるものはありません。でも陰謀論者は「政府や軍が隠しているから」と言います。でも証明しなければいけないのは「宇宙人の乗り物と主張している人達」のはずです。
本当に証拠を持っていないとしても、ないことを証明するのは出来ないのです。
それと同じで陰謀論を「100%ない」と証明することは出来ません。だからいつまでも陰謀論は残り続けるのです。
陰謀論者は勝手に言いだしておいて説明責任を相手に押し付ける。
これも陰謀論の特徴です。
陰謀はもっと身近にある?
他にもこの本にはさまざまな陰謀論とその特徴が書かれています。
でも陰謀は日本史に限ったことではありません。
私達の生活の中にも陰謀論は入りこんでいるのです。
「◯◯を食べるとガンになる」「◯◯は危険、◯◯は天然だから安心」
なんかの報道も陰謀論と同じしくみで作られています。歴史だから私達には関係ないとはいえないのです。陰謀論の仕組みを知ることで、ウソに騙されにくくなると思います。今回は書ききれませんでしたが、次回はさらに陰謀論の特徴と私達の生活について紹介しようと思います。
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