こうしてニュースは造られる・捻じ曲げられる事実とテレビ新聞雑誌の裏側

 

テレビ・新聞・雑誌、今日も大量のニュースが報道されています。でもそのニュースは正しいのでしょうか?テレビだから正しい?新聞だから間違いない?

残念ですがニュースは正確ではありません。マスコミは情報を売って商売をしています。正しさよりも「売上」や「視聴率」が大事なのです。

この本「ニュースはどのように造られるか」では、新聞やテレビ、雑誌の記者たちがどのように考えて、どのようにニュースを作っているかが書かれています。

この本の著者・小島正美氏は毎日新聞の記者でした。記者としての経験をもとに、ニュースがどのように造られているのが書かれています。

ニュースの裏側を知ってしまうと、何を信じていいのかわからなくなってしまうかもしれませんよ。

記者やメディアの持つバイアス(偏り)

様々な原因でニュースやテレビ・新聞・雑誌の記事は内容が偏ってしまいます。

著者は記者やメディアにバイアスがあるためにニュースや記事の内容が偏ると書いてます。バイアスとは「偏り」という意味です。

著者がこの本で紹介しているニュースの内容が偏る原因についていくつか例を紹介します。

記者の先入観

「農薬は危ない」など、あらかじめ記者の側に思い込みある場合。事実よりも思い込みを優先させます。他に反対の意見があっても「なかったこと」にします。記者にとって事実とは自分の先入観を満足させるものなのです。

物語

記者は読んでわかりやすい物語。面白い物語を作って記事を書きます。複雑で難しい出来事も省略したり改ざんしたりしてわかりやすい物語に仕立てあげます。正しいかどうかは関係ありません。読者にウケる物語が大切なのです。

決めつけ・固定思考

「トランス脂肪酸は悪いもの」「有機農産物はいいもの」など、単純な善悪で決めつけてしまいます。この場合、記事を書く前から結論が決まっています。用意した結論に都合のいい材料を組み合わせてニュースは造られます。

警告主義

記者やジャーナリストは問題点を警告するのが使命だと思ってるようです。問題なのは記事の正確さよりも、危険を主張すればそれでいいという考えです。危険を煽ることが「正義」「良心」だと勘違い(ごまかしてるだけ?)している記者が多いです。

結果として危険性を指摘する記事ほど信用できない。という笑えない結果になります。

期待応答

著者が言うには「記者は市民に歓迎される記事を書きたい」と思ってるようです。でもこの言い方はメディアを美化しすぎてるように思います。要するに「売れる記事」「ウケる記事」を書きたいのです。自分たちが偏った記事を描くのは読者のせいと責任転嫁しているのですね。

コミットメント

コミットメントとは一貫性のこと。記者やメディアは一度、記事を書きはじめると修正を嫌がります。自分の間違いを認めないのです。だから間違った記事やニュースを流し続けてしまう。例えば、食用油のエコナに発がん性があると問題になったことがありました。科学的には危険性は無視できるレベルだと分かっています。でもマスコミは訂正しません。

つまりマスコミは自分の過ちを認めない。自浄作用はないということです。

量の軽視

化学物質の毒性は「量」で決まります。ごく微量の場合は問題ない。というものも多いです。ところが記者は量を無視します。

つまり「白」か「黒」、「いい」「わるい」の単純な判断になってしまうんですね。マスコミはどのくらいの量だとどんな影響がでるのか。という考え方・伝え方が出来ません。

だから危険性を煽るだけの偏った報道になってしまうのです。

自主規制

市民から反発が来そうだと思うと記者の側が報道するのをやめます。売上が落ちると困るので消費者からクレームや講義が来るような記事は書きません。

この本では「市民からの反発」としか書いてませんが。一部の団体や偏った主義で動いている運動家も含まれると思います。マスコミには「報道しない自由」があるからです。

テレビや新聞、雑誌を信じすぎるのは危険

マスコミの作るニュースは「商品として加工された情報」。本当の意味が伝わらないことも多いし、間違った印象を与えることもあります。現実の出来事を材料にしていても、結論をみればフェイクニュースといってもいいくらいです。

テレビや新聞、雑誌はフェイクニュースで出来ている。そんな印象を持ちました。

最後にひとつ。実はこの本の著者自身にも偏見はあります。

小島正美氏自身もかつてはあやしい記事を書いてたようです。ダイオキシンを過剰に危険な物質と騒ぎ立てたり、環境ホルモンなどをかなり批判してたようです。今ではダイオキシンも環境ホルモンもマスコミで言われているほど危険ではないことが分かっています。

つまり著者の小島氏は一般市民を騙した張本人なんです。もちろん本人は善意で報道したし、行政や企業の不正を暴く正義感で行なったと著書に書いてます。この本にも書いてあるようにニュースは商品ですし「正義感で行なった」という白々しい言い訳は逆に胡散臭いですね。

でも小島氏もその反省からか多少は科学を信じるようにはなったようです。この本は贖罪の意味を込めて書いてるのでしょうか。

とはいっても、この本自身は政治や行政に対する不信感で書かれています。最終的には政府や行政が悪いという「バイアス」で書かれています。それを正すのがジャーナリスムの仕事なのに。

また「中国産冷凍餃子報道」については「一般の中国産が危険だという根拠はない」「国産品を買わせるためのテロ」と書いてるあたり「おいおい」と思ってしまいます。確かに中国産冷凍餃子の報道は行き過ぎだったとは思いますが、著者自身も何らかの思惑で偏った記事を書いてるようです。まあ「毎日新聞」の記者ですから中国に同情的なのは仕方ないでしょうね。

また「マスコミは偏ってはいるけど売るためにはしかたない。合理的な選択だ」という言い訳がところどころに出てきます。

その部分は割り引いて考えないといけないですね。

でもこの本は記者が何を考えてニュースを造ってるのか勉強になります。

ニュースは事実を伝えているのではなく、何らかの意図をもって造られた商品なんですね。

ニュースは受け取る側に理解力・判断力が求められます。
それができない人はニュースにだまされるんですね。