8月15日は終戦の日・でも知らない人が急増中?

8月 社会・経済の話題
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8月15日は終戦の日ですね。終戦記念日ともいいます。

太平洋戦争、日中戦争を含む第二次世界大戦が終わった日です。

でも最近は8月15日が何の日か知らない人もいるようなんですね。若い人が終戦記念日を知らないというのをきいておどろきました。

僕自身は戦争を体験していない世代なので戦争そのものは知りません。でも日本が戦争をして負けたという話はよく聞きました。祖父母は戦争経験者だったからです。

祖父は戦争には行っていないようなので、戦地での話は聞いたことがありません。

仮に行ったとしてもなかなか話はしたくないという人も多かったようです。

内容については様々な意見があるのであえて書きません。

僕が問題だと思うのは「戦争が終わった日」そのものを知らない人。日本がアメリカや連合軍と戦争をしていたことを知らない人が増えていることです。

確かに戦争を知ってる人が減っているので直接戦争について話を聞くことはほとんどないと思います。

どうも最近の学校ではあまり教えてないようです。

確かに過去の出来事になってしまいましたが、「歴史」の授業では教えるべき内容ですし。世界的な出来事なのだから知らないでは済まされません。

中には戦争に負けた日、降伏した日なのに「終戦記念日」として祝うのはけしからん。という人もいるでしょうが。呼び方はともかく、日本人にとって重要な日なのは間違いありません。

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第二次世界大戦とは

戦争があったことを知らない人もいるようなので簡単に書くと。

第二次世界大戦とは
1939年から1945年の間に行われた世界的な戦争をまとめて呼ぶ言い方。

戦ったのは枢軸国と連合国

枢軸国
主に日本(当時の呼び方は大日本帝国)、ドイツ、イタリアなど日独伊三国同盟が中心。最初はドイツとイタリアの同盟でしたが、日本も参加。

さらにフィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイなどが参加しています。

それ以外にもドイツや日本の支援を受けて誕生した政府が世界各地にあって枢軸国として参戦していました。スロバキア共和国、クロアチア共和国、フィリピン第二共和国、ビルマ王国、ベトナム帝国、ラオス王国、満州帝国、中華民国南京政府、蒙古聯合自治政府などです。これらの国の多くは連合国の植民地だった所なので連合国からは国として認められていないようです。

連合国
主にアメリカ、ソ連、イギリス、フランス(臨時政府含む)、中華民国。
オランダ、オーストラリアなど最終的には47カ国が連合国共同宣言に署名。

連合国の略称(UN:United Nations)は現在の国際連合の略称にもなってます。

太平洋戦争とは

1941年から1945年との期間に主に太平洋方面で行われた戦争。1941年12月8日の真珠湾攻撃から1945年8月15日の降伏までの間です。

主に戦ったのは日本とアメリカですが、イギリス、オランダ、オーストラリアも太平洋・インド洋で日本と戦ってます。

大東亜戦争はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって禁止用語にされてしまったので現在はあまり使われません。現在はGHQの禁止事項は無効になってますが、律儀にGHQの教えを守ってる人もいます。「大東亜戦争」のかわりにGHQが広めたのが「太平洋戦争」の言葉です。

当時の日本での呼び方は大東亜戦争。「元寇ではなく蒙古襲来」だとか「聖徳太子ではなく厩戸皇子」とか当時の呼び方にこだわるのが歴史学者の務めだというなら「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」というべきのようにも思えますが。そもそも歴史学者の基準はあいまいなのでよくわかりません。

とりあえず一般的に広まってる「太平洋戦争」で話を続けます。

日中戦争とは

主にアジア大陸で行われた日本と中華民国の戦争です。1937年の盧溝橋事件から1945年の第二次世界大戦の終わりまで。当時の日本での呼び方は支那事変。

アメリカとの戦争が始まると日本では支那事変も含めて大東亜戦争と呼ばれました。

以上。
いつ、どことどこが戦争していたのかを簡単にまとめました。
個々の内容については書き出すとすごい量になるので知りたい方はご自分で調べてください。

とまあ、これほど大きな出来事があったのに。最近の学校ではろくに教えていない。
中国大陸で日本がひどいことをしていたことは教えても、終戦日は教えないし原爆が落ちた日も教えてない学校もあるとか。驚きです。

終戦の日が8月15日ではないって本当?

最近の教科書では8月15日ではなく9月2日と教えているものがあるようです。

 

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という本によると「終戦日は1945年9月2日」と書いてます。

太平洋戦争終戦までのいきさつ

当時がどのような有様だったのか説明すると。

6月23日。日本軍による組織的な沖縄戦が終了。
7月26日。米英中の連合国は「ポツダム宣言」発表し日本に降伏を迫りました。
8月6日。広島に原子爆弾が投下。
8月8日。日ソ不可侵条約を破ったソ連が対日戦争を開始。
8月9日。長崎に原子爆弾が投下。

こうしたこともあって日本政府はこれ以上の戦争を続けるのは不可能と判断。政府内でポツダム宣言を受け入れるか検討が続けられました。最終的に昭和天皇の判断で「ポツダム宣言」を受け入れることを決断。

8月14日。日本の降伏はアメリカや連合国に伝えられました。

8月15日。昭和天皇による宣言を放送。「玉音放送」です。日本国民に戦争の停止を宣言。16日には日本軍は自ら戦闘をしかけることを停止しました。

8月11日ごろには日本は降伏するという話は国民には漏れていたようですが、正式に発表されたのは15日でした。

アメリカ軍も8月15日以降は日本本土への攻撃を停止しています。

こうして8月15日は日本が戦争をやめて降伏を発表した日となりました。
現在でも8月15日になると日本各地で慰霊祭が行われるのはそのためです。

ところが歴史学者は教育関係者の間では8月15日は終戦の日ではないという意見があります。

本当の終戦日は9月2日だというのです。

9月2日は日本が降伏文書に調印した日。
戦艦ミズーリ号の上で日本政府全権大使の重光葵が降伏文書に調印したのがこの日なんですね。

でもなぜ今さら8月15日ではなく降伏文書に調印した日を終戦日というのでしょうか?

歴史学者の言い分はこうです。

「8月15日はきちんとした文書で降伏を確認したのではない」
「国際的には9月2日が第二次世界大戦集結の日とされている」

からです。

しかし国際的な習慣として口頭で「降伏」を伝えても有効です。いちいち文書を用意して署名するまで待っていたら被害は増え続けるからです。

日本政府は8月14日に連合国に対してポツダム宣言を受け入れ降伏することを伝えました。

個々の部隊レベルでは連絡がすぐには届かないこともあります。本国から遠く離れていたらなおさらです。だから15日になったその瞬間に戦闘が停止したわけではありません。

少なくとも日本国民に対して戦争を止めるという正式発表をしたのが8月15日です。

しかも9月2日に降伏文書に調印したからと行ってその日にすべての戦闘が終わったわけではありません。
ソ連が戦闘をやめたのは9月5日です。

中国大陸にはなかなか連絡が届かずに15日以降もソ連や中華民国との間で戦闘が続きました。

ソ連は8月15日から9月5日の間に日本領だった樺太、千島列島(北方領土含む)を占領しました。

つまり。9月2日は政府が文書に調印したという形式上の日に過ぎません。

8月15日になった瞬間に戦闘が終わったわけではないのと同様。9月2日になった瞬間に戦闘が終わったわけではありません。その後も戦闘行為は各地で起こります。すべての戦闘が終わった日を決めるのは不可能なのです。

9月2日が終戦日なのは戦勝国の都合

アメリカ、イギリス、フランス、ロシアなど戦勝国側は9月2日を「対日勝戦記念日」としています。

ただし、アメリカでも一部の州では8月14日や15日を対日勝戦記念日としているところもあるようです。

韓国や北朝鮮では8月15日が「祖国が解放された日」として事実上の終戦記念日になってます。

中国(中華人民共和国)、台湾(中華民国)、ソ連では9月3日を対日戦戦勝の日となってます。調印の翌日に祝典を行ったかららしいです。

世界史のレベルでは9月2日が「対日戦勝の日」なのでしょう。

でもそれは外国人の目線から見た出来事に過ぎません。
日本国民の思いとは違います。

またロシア(ソ連)にとっては8月14や15日が終戦日になってしまえば樺太、千島列島をを占領したことが国際的に違法行為になってしまいます。絶対に認められないでしょう。

8月15日は日本国民にとっては降伏を知らされた日、戦争を止めると知らされた日。それまで戦争を続けるためにやっていたことが終わり、価値観が変わった大きな歴史の転換点だったのは間違いありません。

それを無視して9月2日が終戦日というのは、紙切れでしかものごとを判断できないエセ学者ですね。

外国人、正確には「連合国側」の人たちが9月2日に対日戦争に勝ったのを祝うなら自由にすればいいです。

8月15日は日本人なら記憶しておきたい日

確かに日本は多くの国を相手に戦争をしました。そして大勢の犠牲をだして負けました。二度と繰り返してはいけません。

反省は必要です。

でも、日本国民が連合国の戦勝気分に付き合う必要はありません。

日本国民の立場では政府が条約に署名した日よりも、戦争の終わりを知らされた日のほうが大切なのではないでしょうか。それは同時に社会そのものが変わった日にもなります。戦争を続けるための暮らしから、立て直すための暮らしへと変わったきっかけの日です。この日を無視して戦争は語れません。

また偶然にも8月15日はお盆の真っ只中。

大勢の人が犠牲になったのを弔う日。
慰霊の日としてこれほどふさわしい日はありません。

 

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