書店で目にしたこの本。30万部も売れてるそうです。著者はケント・ギルバート氏。ある年代以上の人にはクイズ番組の回答者としておなじみです。本職は弁護士です。
そんなケント・ギルバート氏の書いた本ということで手に取ってみました。
ケント・ギルバート氏によると日本と中国・韓国・朝鮮は物事に対する考え方や捉え方が正反対なんだそうです。その違いの理由は儒教にあるといいます。
儒教のせいで中国・韓国・朝鮮は非常識な国になってるといいます。
気になったので買って読んでみました。
儒教ってそんなに悪い教えなの?
儒教というと道徳的なこと倫理的なことを説いてる思想というイメージがあります。
仁・義・礼・智・信
が代表的な教えです。
でも儒教って悪い教えなんでしょうか?
例えば儒教の教えの一つ論語にはこんな文章があります。
「己の欲ざる所、人に施すことなかれ」
「自分が嫌だと思うことは人にしてはいけない」
という意味です。
人に迷惑をかけてはいけないという教えが悪いはずがありません。
ところが現代の中国、朝鮮、韓国では道徳的な部分が抜けてしまってるそうです。
ギルバート氏はその理由の一つとして1970年代に中国で起きた文化大革命をあげています。
文化大革命では孔子が中国政府によって大悪人にされてしまいました。孔子は儒教の教えを最初に説いた人です。
文化大革命によって儒教の教えは否定されました。道徳的な部分、倫理的な部分はすっかり壊されてしまったのです。
でもそれだけでは説明できません。
親子の絆を大切にする教えが悪用されると・・・
儒教には親子の絆を大切にする考え方があります。
親を大切にする。家族を大切にする。祖先を大切にする。
これ自体は悪い考えではありません。
ところが悪用されるととんでもないことになります。
儒教の教えのひとつ「論語」にはこのようなことが書かれているといいます。
父はこのためには罪を隠してかばい、子は父のために罪を隠してかばうのです。この罪を隠すことのなかにこそ、正直の精神があるのです。
驚いたことにこの教えが孔子の言葉として論語に載っているのです。正確には孔子の弟子たちが孔子の言葉としてまとめた本が論語です。本当に孔子が言ったのかはわかりません。
そのせいでしょうか。明治の政治家・大隈重信は「孔子は聖人には違いないけれど神ではない。だから至らないところがあって、誤解がないとも限らない」と言ってるそうです。
だから家族や身内を大切にする考え方が極端になると公(おおやけ)より私(わたくし)を大切にする考えになってしまいます。
法律違反をしても「身内のためにすることはいいことだ」となってしまうのです。
韓国ドラマにも公より私を大切にする思想が
そういえば韓国ドラマの「宮廷女官チャングムの誓い」ではこんな場面がありました。
宮中に勤める女官が引退する母親のために大好きな食事を作ろうと考えました。でも貴重な材料なので簡単には手に入りません。その女官はチャングムが料理の試験で使う材料を盗みました。女官は盗んだことが見つかっても「母親のためにすることだから」といって返しません。権局、盗んだことは有耶無耶になり。チャングムも女官をかばって落第しました。
いくら親のためとはいえ人の物を盗んでいいとはいえませんよね。
韓国は中国の影響を強く受けているので考え方が似てるのでしょう。
ドラマを見たときは単にひどい話だとしか思いませんでした。
ギルバート氏の本を読んで「そういうことだったのか」と納得しました。
中国国民はまとまりがない?
社会よりも個人が大切になると社会との繋がりは希薄になります。ギルバート氏はこのように表現しています。
中国社会は個人の内側や家族の中に閉じこもった、バラバラで繋がりのない砂の集まりのようなものなのです。
中国で辛亥革命(清を倒して中華民国を建国した革命)を起こした孫文も似たようなことを言ってるそうです。
だからでしょうか。バラバラな国民をまとめるためには、強力な敵・憎まれ役が必要です。その役目が日本なのかもしれません。
中華思想を抜きに東アジアは語れない
儒教の影響を考える前に、覚える必要があるのが「中華思想」です。中国とその周辺の国を考えるときにはどうしても出て来る考え方です。
ギルバート氏は中華思想についてこのように書いています。
中華思想では、中国の皇帝こそが世界の中心であり、そこから離れた地域は未開の地、そして、そこに住む人々は禽獣にも等しいと考えます。
確かに大昔はそんな思想があったのは聞いたことがあります。
中国にはこんな言葉があります。中国を中心に周辺の国々を見下す言葉です。
東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)
日本は中国からみて東夷になります。朝鮮も同じことを考えてるようです。
南蛮は東南アジアあたりになります。
日本ではポルトガル・スペインなどヨーロッパ人を南蛮人と呼んでいました。その南蛮です。ポルトガル人達が中国が南蛮とよんでいる東南アジア方面からやってくるため。南蛮人と呼ぶようになりました。
話がそれましたが現代でも中華思想は生きてるそうです。
だから、
世界の中心である中国は偉い。
中国の隣の韓国は、中国の次に偉い。
離れた日本は下等な国だ。
という発想になるようです。
自分たちが偉い。と考えるのはどこの国でも同じだと思います。でも距離が離れたら離れるほど野蛮になるとはひどいですよね。
都会が偉くて地方を見下す感覚でしょうか。確かにどの世界にも地方を差別する考え方はあります。中華思想は地方を差別する考え方を極端にしたもののようですね。
俺のものは俺のもの・お前のものも俺のもの
某マンガのキャラクターの言葉みたいですね。これがぴったりなんです。
中国皇帝は世界の中心だからすべてのものは中国皇帝のもの。この思想は現代でも生きてるそうです。
身分の偉い人は下のものに貢がれて当然。貢がれるのが当たり前。もともと下のもののすべてが上の物なんですから「もらった」とは思いません。「手にして当然」のようです。
お金や物だけではありません。
中華人民共和国になってからも着々と領土を広げています。新疆ウイグル自治区、チベット自治区、内モンゴル自治区。第二次世界大戦より後の時代でも現地の人の反対にもかかわらず強制的に中国の一部にされてしまった国は存在します。
日本は韓国に竹島をとられました。最近では南シナ海や尖閣諸島がニュースの話題になります。もともと自分たちのものという発想みたいです。中国人の考えでは日本も中国の一部だそうですよ。
ギルバート氏によると中国は日本を分断して沖縄を中国領にするつもりだといいます。どこまで本当かわかりませんが、本当なら恐ろしい話です。
儒教では序列が大事
上と下をはっきり分けるのは儒教の特徴です。
儒教は親と子、兄と弟という順番を大切にします。歳をとっても子供は子供。下の者は永遠に下のままなんですね。親の言うことは絶対です。兄弟でも兄の言うことは絶対です。
日本では兄弟の関係というとゆるい上下関係の親しい間柄と思ってしまいます。
でも中国・韓国では兄弟でも上下関係は絶対です。弟は兄に逆らってはいけません。
中華思想+儒教のセットで自動的にNo.2が決まる
儒教思想に基づく上下関係を絶対と考える朝鮮人にしてみれば日本が自分たちの上を行くことは、とても受け入れがたい屈辱・・・まさに「対等」という概念が存在しない。儒教思想の呪いです。
中華思想と儒教をセットにすると中国に近い国は得をします。
中華思想では中国(漢民族の国)が世界でNo.1。これは決定です。中華思想では世界の中心から離れれば離れるほど劣る国です。近ければ近いほど偉いです。
大昔。高麗や李氏朝鮮は儒教を取り入れました。彼らとしては、中国(明や宋)の隣ですから中国の次に偉い国になるからです。日本は遠いので卑しい国です。明・宋・高麗・李氏朝鮮はなくなりました。でもその考え方は現代でも生きています。
儒教の教えでは下のものには上の者に逆らえません。そういう決まりだからです。
韓国にとって中国は兄貴分で日本は弟分です。弟は兄に逆らってはいけません。
だから「韓国は日本より偉くて、日本は韓国に逆らってはいけない」という理屈になるんです。
中華思想と儒教を取り入れれば中華帝国が存在するかぎりお隣で服従してる国は自動的にNo.2の座が決まります。これを「小中華思想」といいます。
No.2はNo.3以下に対しては「俺のものは俺のもの・お前の物も俺のもの」の発想を持っています。
助けてもらっても恩を受けたとは考えません。「当然」だからです。むしろあとで「迷惑だった」と言われることすらあります。上の者が下の者に助けられたというプライドが許さないようです。
日韓合意は最初から破棄されて当然だったのかもしれません。
そして永遠に続きます。従軍慰安婦の次は徴用工問題、その次は・・・というふううに。彼らの考えが変わらない限り、搾取に終わりは無いのです。
こうして日本は搾り取られるわけです。
なんとも迷惑な話です。
日本の資金援助で韓国政府は何を?
戦後の個人保証に充てられるべき金銭を、韓国政府がネコババしたわけですが、日韓とも、この事実を知らない国民が多いようです。
日本は第二次世界大戦の後、韓国の国家予算の2年分以上の資金援助をしました。このお金で個人への賠償も行うはずでした。ところが韓国政府は個人には渡さずに経済発展のために使ったのです。
身分の上の者は下のものに貢がれて当然です。
日本が韓国にお金をいくら払っても終わらないのは中華思想+儒教の教えがあるからかもしれません。中華思想+儒教の世界では東夷である日本は永久に貢がされる運命にあるみたいです。なんだか釈然としませんね。
権力者に都合の良い儒教
上下の役割がはっきり決まっている。この考えは権力者にとってはとても便利です。
親と子の関係は君主と家臣、君主と民衆の間柄にもいえるからです。下のものは上の者に逆らってはいけない。身分制度を維持するためにこれほど都合のいいものはありません。
だから歴代の中国皇帝や朝鮮王朝では儒教は国の基本になりました。
日本では聖徳太子の時代に儒教が入ってきました。でも仏教が国の中心だったので儒教は役人の心得や学問としての普及にとどまりました。
日本で儒教が民間にまで広まったのは江戸時代です。徳川家康が幕藩体制の維持のために利用しました。明治政府もその教えを受け継いでいます。父を家のトップにして家族は従う、家長制度は儒教の教えを元にしているのですね。天皇と国民は父と子の関係。だから国民は従わなければいけないという教えもあります。戦前の日本というと神道が国の中心だと思ってる人がいますが、違います。もともと神道には教えがありませんから形を利用しているだけなんです。戦前の思想の中心は儒教なのです。
歴史とは自分たちに都合の良い物語
上位の都合ですべてが決まる、上位の者の地位安泰のためなら歴史改竄は認められるという論理。
中国や韓国にとって歴史とは過去に起きた事実ではないようです。「こうだったらいいな」という希望なんです。
中国や韓国が「歴史を直視しろ」というのは彼らにとって都合のいいストーリーを認めろ。ということなんです。日本人がいくら資料を持ち出して説明しても納得しません。
この本では日韓歴史共同研究に参加した筑波大学の古田博司教授の言葉が引用されています。
民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合の良い資料を貼り付けてくるだけなので、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出て来る。
韓流時代劇は現代人が「こうだったらいいな」という希望をドラマにしたもの。という話を聞いたことがあります。日本の小説やドラマも似たようなものだし、テレビドラマだからそういうものだろう。と思っていました。
でも現実の歴史でも彼らの感情を満足させる物語が必要のようです。だとすると中国や韓国の主張している日本の戦争犯罪も彼らのストーリーに従って作られているのかもしれません。日韓の研究者がいくら集まって議論してもまとまらないのは当然ですね。
歪められた教えを信じる国
はたして孔子が考えたものは権力者に正当性を持たせるためだったのでしょうか?ギルバート氏はこのように書いています。
名前は昔から変わらず「儒教」であっても、孔子から時代を下るごとに、どんどん質が低下しているように思えます。
(中略)
中国には、孔子の教えを履き違えた「呪われた儒教」しか伝わっていないのかもしれません。
読めば読むほど刺激的というか。こんなこと書いていいのかと思うほどです。まさかあのケント・ギルバート氏がこういう事を書いてるとは思いませんでした。でもアメリカ人だから書ける部分はあるでしょうね。
もちろん、この本に書いてることすべてが正しいかはわかりません。でも言われてみれば納得できると思う部分もけっこうあって面白い本でした。世の中には知らないことが多いようです。
儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 (講談社+α新書) | ||||
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