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大和と書いて「やまと」と読む理由

yamato

奈良は江戸時代以前は大和国といいました。

また「大和」は古い日本国の呼び方にもなってます。これは大和地方にできた勢力が日本を代表するようになったからです。

でもどうして「大和」と書いて「やまと」と呼ぶのでしょか?どう考えてもやまととは発音できませんよね。

ちょっと気になったので調べてみました。

不思議に思う呼び方も大和ができたいきさつを知れば理解できるんですね。

大和と書いてやまとと呼ぶ理由を紹介します。

目次

やまとの意味

「やまと」とは古代の日本人が呼んでいた言葉。

「やまと」が何を意味するかは諸説あります。有力なのが

「山のふもと」や「山の入り口」という意味です。

どちらも山の端っこの部分を意味する言葉ですね。

奈良盆地は山に囲まれた地域です。人々は山に近い平地に集落を作って暮らしていました。人々は山を神としてあがめ、山を意識して生活していたのです。

したがって「やまと」に意味も考えて漢字をあてはめれば「山門」となるでしょうか。
山の近くにある町ということで「山都」でもいいかもしれまません。
現在でも地方ではこの表現を使ってるところはあります。

奈良と京都の関係

余談ですが。山に関連した地名をもう一つ紹介します。
京都の旧国名は山城と書きますよね。平安京ができる以前は「山背」「山代」と書いて「やましろ」とよんでいました。

「やましろ」とは山のうしろ、裏側という意味です。
しかも奈良時代までの山背の中心地は現在の相楽郡。京都市よりも南にある町です。相楽郡が奈良から見て山の反対側にあったので山背と呼んだのでした。

平安京ができたときに「背」を「城」にかえて「山城」になりました。
「城」には身分の高い人が住む場所という意味があったからです。

「山城は田舎じゃない都なんだ」という意味がこめられているんでしょうね。
歴史的には京都と奈良はあまり仲がよくありません。平安京ができたころは京都の側に奈良への対抗心があったようです。

やまとに漢字を当てはめる

最初はとくにルールはなかった

古墳時代に大陸から漢字が伝わりました。それまで文字を持たなかった日本人は様々な漢字を使って「やまと」を表現しようとしました。その多くは漢字の意味を無視して発音だけをあてはめたあて字です。

あて字にはとくにルールはなかったようです。

万葉集 夜麻登 山常 也麻等 夜末等 夜万登 八間跡
古事記 山跡
日本書紀 野麻登 椰麽等 夜麻苔

などのがあります。

例えば「やまと」の字が入った人名では

やまとたけるのみこと
古事記:倭建命
日本書紀:日本武尊

やまとととひももそひめ
古事記:夜麻登登母母曽毘売
日本書紀:倭迹迹日百襲姫

があります。

面白いのは「やまと」という言葉でも古事記と日本書紀では感じが違うし、古事記や日本書紀の中でも、漢字の使い方が違う点です。

おそらく「やまとたける」のやまとは日本という国を意味していたのに対して、「やまとととひももそひめ」の「やまと」は奈良地域を意味していたのでしょう。

倭国のワはどうして

「やまと」の人々が大陸の国と交流するようになると大陸では日本のことを「倭」という字で表現していることがわかります。

古代中国では日本列島を意味する地域として 倭(ワ)と呼んでいたからです。

なぜ日本が 「ワ」 と呼ばれたのかはよくわかりません。

古代日本のどこかに「ワ」という国があったのかもしれません。日本列島でも早い時期に朝鮮半島との交流があった九州北部の国だったかもしれません。

また、日本人が自分(達)を意味する一人称を「ワ」と言ったので古代中国人が国の名前と間違ったのではないかともいわれます。現在でも一人称をワと呼ぶ地域はありますね。

「倭」という漢字の意味

「倭」という字には「従順」「あいてに委ねて従う」「なよなよした様子」「曲がりくねっている様子」という意味があります。

古代中国からみて日本人は従順だ。おとなしい人たちだ。あるいは、従順であるべきだ、と思われたのかもしれません。少なくとも対等の立場としてはみていなかったでしょう。

大陸の人からみれば日本列島はどこでも「倭」です。九州だろうが畿内だろうが関係ありません。

でも、やまとの人々は「倭」という漢字が自分たちの地域を意味する文字だと受け取ったようです。

そこで「倭」と書いて「やまと」と呼ぶことになりました。
公式な書き方では「やまと=倭」が一般的になります。

漢字二文字で表現

飛鳥時代に律令国の名前を漢字二文字にすることが定められました。
いわゆる旧国名が漢字二文字なのはこのためです。

例えば、「木」の国は「紀伊」、「粟」の国は「阿波」と漢字一文字の国名は二文字になったんです。

「遠淡海」が「遠江」、「珠流河」が「駿河」のように三文字が二文字になった例もあります。

この時「倭」に「大」という文字を付けて「大倭」と書くようになりました。
「大」は「大いな=すぐれている・偉大な」という美称です。漢字文化圏ではよく「大◯国」という呼び方があります。それと同じです。

そこで「大倭」と書いて「ヤマト」と呼ぶようになりました。

養老律令では「大倭」と書いています。

奈良時代には「大養徳」と書いた時期もありましたが。

もとの「大倭」になりました。

大和の登場

天平宝字元年(757年)ごろから「大和」と書くようになりました。

古代中国の歴史書には「倭人は倭を雅でないと思ったので国名を日本にした」という意味のことが書かれています。

国号を日本に変えたのは、もともと地域を意味する言葉だった「やまと」よりも、もっと広い範囲を意味する言葉がほしいと思ったからなのでしょう。

いずれにしても、当時の日本人は「倭」という字が「みやびでない」と感じていたようです。そこで「やまと」を表現する字も替えたのでしょう。「倭」と同じ発音でもっと縁起のいい「和」を選んだようです。

和という字を選んだいきさつはよくわかりません。和には「なごやか」「ゆるやか」「あらそわない」「仲良くする」「あわさる」という意味があります。

聖徳太子の十七条憲法でも一番目に「和をもって貴しとする」とあります。日本人は古代から協調性を大切にしてできるだけ争わないように生きてきた民族でしたから「ワ」の発音を持つ字に「和」を選んだのは当然かも知れません。

そこで「大倭」の「倭」を「和」に替えて「大和」となったのでした。

また、日本と書いて「やまと」と呼ぶこともあったようです。
例えば「日本武尊=やまとたける」がそうですね。

地名にはあて字が多い

まとめるとこうなります。

・古代
 大和言葉の発音に「やまと」があった。
 意味は「山のふもと、入口」「山の端」が有力。

・古墳時代
 大和の人々が漢字を知る。
 大陸では日本列島を「倭」と表現している事を知る。
「倭」と書いて「やまと」と発音。

・飛鳥時代
 律令制度で国名は漢字二文字にするというルールができた。
 「大倭」と書いて「やまと」

・奈良時代
 もっと雅な文字にしたい。
 倭を和に変更。
 「大和」と書いて「やまと」

となるんですね。

現在から見ると「大和」と書いて「やまと」と呼ぶのは不思議に感じるかもしれません。でも地名には、昔からあった発音にあとから漢字をあてはめたものや、字の発音を無視して字をあてはめたものもあります。別に不思議な事ではないんですね。

 

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