日本人なら誰もが知ってる昔話「桃太郎」。
全国に桃太郎伝説は残っています。最近、メディアでの注目度が高いのが岡山県の桃太郎伝説。
吉備津彦と温羅(うら)が戦った話です。
BS11で放送された「尾上松也の謎解き歴史ミステリー」でもとりあげられました。
もともと観光用ガイドブックには鬼ノ城や吉備津神社は桃太郎ゆかりの地として紹介されていました。でもそれは町おこしのための宣伝でした。
今になって歴史の分野でも吉備津彦は桃太郎のモデルになった!と紹介されることがあります。
観光ガイドなら「ふーん、そうなんだ」で終わるかもしれません。マスコミの場合かなり煽った書き方をするので信じる人も多いかもしれません。
テレビだけではありません。最近は歴史がブームのようです。歴史の本でも吉備津彦が桃太郎のモデルと書かれています。
例えばこちらの古代史のムック本。
「桃太郎伝説のベースになったのは吉備津神社に伝わる吉備津彦の話」と紹介しています。ご丁寧に、町おこしのために地方自治体が作った建築物を紹介しています。
出典:別冊歴史REAL地形と地理で読み解く古代史 (洋泉社MOOK)
温羅が住んでいたという鬼城山の砦に隼人の盾に似たものを付けてますね。温羅って隼人(九州南部の人達)と交流してたんでしょうか?
本にも書いてますが、鬼城山の山城(砦)は大和朝廷が唐や新羅対策のために作ったという説が有力です。
日本書紀や古事記によれば、吉備津彦は大和から派遣されて吉備地方を平定した皇族の将軍。
吉備津神社の鳴釜神事の由来によれば、吉備津彦は大和朝廷から派遣され温羅を退治した王子。
両方の話をあわせれば吉備津彦が温羅を倒して吉備を大和の支配下においたと解釈できます。
この解釈には多少難があるのですがそれはそれとして、なぜその話が桃太郎になるのでしょうか?
もともと岡山県の桃太郎伝説は町おこしのための宣伝でした。岡山に限らず日本中で桃太郎発祥の地と主張する自治体は多いです。
「言いたいことはわかるけど。町おこしの宣伝でしょ」と突っ込みたくなります。
テレビや書籍で紹介すれば観光用のお話を歴史的事実と勘違いする人もいるかもしれません。というかマスメディアの側が既に勘違いしています。
歴史は歴史、おとぎ話はおとぎ話。わけて考えたほうがいいと思うのです。
金太郎、一寸法師、竹取物語のように舞台が設定されているものなら地域の歴史と合せて考えてもいいかもしれません。でも桃太郎は人物、地域はおろか時代を特定できる要素も入っていない。日本中のどこにでも設定できるかなり普遍的な物語です。
逆に言えば、だからこそ様々に解釈できるわけです。
そこまでメディアが断言するなら、吉備津彦の話がどのくらい桃太郎と似てるのか調べてみることにしました。
歴史の立場から桃太郎を考えてみる
桃太郎について調べた本を探していると面白い本を見つけました。
前田晴人氏が書いた「桃太郎と太閤」です。
「桃太郎は豊臣秀吉である」という変わった説を紹介しています。正直いって桃太郎は豊臣秀吉という説には賛成できません。
でも紙面の大半を使って桃太郎とはどんな人物か。桃にはどんな意味があるのか。鬼とはどんな存在なのか。吉備津彦と桃太郎の関係など、桃太郎の要素を歴史的に検証しています。その部分は参考にできます。
この本の内容をふまえて桃太郎について考えてみたいと思います。
吉備津神社の鳴釜神事
温羅は吉備津神社に伝わる鳴釜神事の起源を伝える話に登場します。おそらく温羅が出てくる話で一番古いと思います。
吉備津神社に伝わる話を要約するとこうなります。
11代垂仁天皇の時代。
異国の鬼神が吉備国にやってきた。
彼は百済の王子、温羅。吉備冠者ともいわれた。
浦は備中国の新山に居城を作り、西国から都に送る貢船や婦女子を略奪した。
人々は恐れおののいて「鬼の城」と呼び、都に行って温羅の悪行を訴えた。
朝廷は将軍を派遣。
しかし温羅は変幻自在の技を使うため討伐は失敗。
朝廷は武勇のすぐれた「イサセリヒコノミコト」を派遣。
イサセリヒコノミコトは温羅と戦った。
ミコトは苦戦するものの、ミコトの放った矢が温羅に命中。
温羅は雉に姿を変え山中に隠れたが、ミコトは鷹に変身して追いかけた。
温羅は鯉に姿を変え血吸川に逃げたが、ミコトは鵜に変身して捕まえた。
温羅は降伏して吉備冠者の名をミコトに与えた。
そこでミコトは大吉備津彦とよばれるようになった。
ミコトは温羅の首をはねて串に挿して晒した。
しかし温羅の首は大声を出して止まらない。
ミコトは部下の犬飼武に命じて犬に食べさせた。
温羅の首は骨になったがそれでも吠え止まらない。
ミコトは釜殿を地中に埋めた。
それでも声は止まらない。
ミコトの夢に温羅の霊が出て「わが妻、阿曽郷の祝の娘・阿曽姫に釜を炊かせよ」と告げた。
以上が鳴釜神事の由緒である。
となってます。
この話を聞いて大吉備津彦が桃太郎だと思う人はどの程度いるでしょうか?
似てるのは鬼を退治したことくらいです。犬も共通するキーキワードに入れてもいいかもしれません。
英雄譚=桃太郎ではいかにも芸がなさすぎます。
犬や犬飼部も日本各地にいました。
これが学者の言ったことなら見識を疑います。
むしろ桃太郎に必要な要素が決定的に抜けています。
吉備津彦は桃太郎とは関係ない
温羅伝説には桃太郎に必要な要素がありません。
桃が登場しない
致命的なのが本来の吉備津彦・温羅伝説には桃が登場しないこと。
最近では桃を登場させた温羅伝承を作ってるようですが。本来は桃は登場しません。
桃太郎の元になったというなら桃が登場しなければいけません。
・桃太郎の不思議な出生の仕方。
・桃が持つ不思議な力を桃太郎が持っている。
これが桃太郎の特徴です。
桃が登場しないならそれは桃太郎ではありません。ただの鬼退治です。
吉備団子は必要ない
桃太郎のお話には黍団子が出てきます。
岡山名物は「吉備団子」。でも吉備団子ができたのは明治時代になってから。桃太郎の黍団子をイメージして作ったようです。黍と吉備の発音が似てるので閃いたオヤジギャク的商品。シャレですシャレ。
黍団子のルーツは吉備津神社で作られていた団子という意見もあります。
ところが江戸時代初期までの桃太郎には黍団子は登場しないのです。登場しないものを根拠にルーツを考えても意味がありません。初期の桃太郎が持っていたのは「団子」あるいは「とう団子」です。とう団子は丸い団子をひもや串でつなげたものです。丸い団子を口にすることはそれ自体が呪術的要素があるともいわれます。
桃太郎のお話は江戸時代に日本各地で様々なバリエーションが作られました。その途中で団子が黍団子に置き換わった話が作られたようです。
もしかすると吉備津神社が後世に伝わる桃太郎の要素のひとつに影響を与えた。と言えるかもしれません。
でも、吉備津彦=桃太郎とは別問題です。
桃太郎のルーツを主張するのに黍団子は必要ない。むしろ後から作ったことの証明になるのです。
犬はともかく猿・雉の説明がない
吉備津彦は犬・猿・雉を引き連れて温羅と戦ったわけではありません。
犬については吉備津彦にもゆかりがあります。犬飼武が吉備津彦の部下にいた。犬飼武が飼っていた犬に温羅の首を食べさせた。という記述があるからです。
犬飼部はもともとは犬を飼育・管理する人達。屯倉のある地域に犬飼部が多いことから、屯倉の護衛をしていたと考えられています。犬飼部は戦いにも優れた一族だったといわれます。
だから犬あるいは犬を扱う人達が配下にいたのは桃太郎と似ています。でも猿と雉がありません。
むしろ温羅が雉に変身しました。これでは雉が桃太郎の敵になってしまいます。
吉備津彦の部下をむりやり猿や雉にあてはめた説はあります。それも苦しいものがあります。
桃太郎の物語に温羅伝承をこじつけて説を作ったら歴史の捏造になります。
もし、鳴釜神事の吉備津彦をモデルにもとにおとぎ話を作ったら鬼退治の英雄(吉備太郎?)の従者は犬・鵜・鷹になったはずです。
鬼ヶ島がない
桃太郎が鬼退治に行ったのは鬼ヶ島。海に浮かぶ島です。
温羅がいたとされるのは山城。鬼ノ城です。島ではありません。鬼城山の麓に広がる平地で戦っているのです。
古代には倉敷のあたりは海が迫っていたという説はあります。それでも鬼ノ城の近くまで海が来ていたわけではありません。
昔話で「島」が出てきた場合、普通の生活空間とは違う遠い所、異質な場所という意味があるように思います。一寸法師の鬼も島に住んでいます。水に囲まれ都から隔離された場所と設定されています。
しかし吉備津彦が戦ったのは吉備津神社から鬼ノ城の間に広がる平野部です。鬼ノ城で戦ったわけでもありません。戦場は人口密集地帯ではなかったと思いますが、遠く離れた異質な場所ともいえません。
桃太郎と吉備津彦には共通点がほとんど無い
桃太郎と吉備津彦には「鬼を退治した英雄」「犬」という部分しか共通点がありません。
鬼退治の英雄なら全国を探せばいくらでも見つかるでしょう。桃、犬、猿、雉どれかのキーワードは重なるかもしれません。全国の桃太郎伝説にはそんな地元の英雄の話が含まれているかもしれません。
岡山県が桃太郎の発祥の地になった本当の理由
桃太郎伝説は日本各地にあります。香川県高松市、愛知県犬山市、岐阜県中津川市。20近くあるといわれます。ではなぜ岡山の吉備津彦の話が桃太郎として有名になったのでしょうか。
答えは簡単です。
宣伝のおかげです。
情報を広めるときに正しいかどうかは問題ではありません。言い続けると本当のことになります。都合のいい情報を流して利益を得るのが情報戦です。言葉を変えれば宣伝。それは国際問題をみてもわかります。
岡山市は戦前から桃太郎発祥の地として宣伝を行っていました。地元自治体を中心に熱心なPR活動をしていました。地元愛あふれる地元の歴史研究家も吉備津彦は桃太郎という学説を発表。郷土史家も一緒になって桃太郎発祥の地を主張しました。その効果があって桃太郎と言えば岡山県のイメージが定着しました。
いい悪いの問題ではなく、地域が発展するためのうまい方法だと思います。メーカーが商品を売るために宣伝するのと同じですね。
最近では本屋で売ってる出版物やネットを見ても吉備津彦が桃太郎のルーツと書いてます。マスコミや作家・ライターがろくに調べもせずに書きます。
「尾上松也の謎解き歴史ミステリー・桃太郎伝説 おとぎ話に秘められた謎」「別冊歴史REAL・地形と地理で読み解く古代史」もそのひとつですね。
しかしそこまで持っていくのは地道な活動が大切です。岡山の桃太郎も何十年も活動を続けた結果、実を結んでいるのですから。
岡山の桃太郎が歴史的事実と違うから意味がない。と言ってるのとはちがいますよ。町おこしのキャラクターとしては成功してるわけですし。
漫画のキャラクターだって町おこしになるのですから。温羅をオリジナルキャラクターとして楽しめばいいと思います。
岡山市の熱心さは他の自治体を寄せ付けません。国際交流にも桃太郎を活用しています。まさに町おこしのお手本ですね。
町おこしは中途半端ではだめなのでしょう。自治体・マスコミ・知識人を動員して全国や世界にアピールしなければいけないようです。
有名になりたければ他の自治体も見習ったほうがいいのかもしれませんね。
今回、参考にした本
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