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天職って何・意外と知られていない本当の意味

天職を探して転職する人は多いと思います。

でも、天職を勘違いしている人もいるようです。若い人と話をしてると時々違和感を持つことが有るのです。天職って何でしょうか?

初歩的な質問かもしれませんがあえて考えてみましょう。天職とは何でしょうか?

「自分のやりたい仕事をすること?」

違いますね。

「楽してお金が稼げる仕事?」

もちろん違います。

「自分の働きがいのある仕事?」

それだけじゃだめですね。

何かが足りません。

それは。

「人の役に立つこと」

なのです。

 

目次

天職とは人の役に立つ仕事

天職とは

「自分の生きがいのある仕事」

「人の役に立つこと」

両方を満たした状態

なんです。

他にも条件を加える人もいますが。基本はこの2つです。自分と相手の両方にとって良いことがある仕事です。

もちろん「やりたい」だけではだめです。きちんと「できる」ことが必要です。お客さんや取引先が「これならお金を出してもいい」と思えるようにならないと駄目なんですね。

人の役に立つレベルまで仕事ができてるなら。自然とクリアできてるはずですよね。

 

人の役に立たなければ天職とはいえない

自分のやりたい仕事をしている。適性もあると感じてる。そんな人はいるかもしれません。でもそれだけでは天職とはいえないんですね。

お客さんや相手のことを考えず、自分の都合だけで仕事をしたらどうなるでしょうか。いずれ相手にされなくなって、うまくいかなくなります。

仕事というのは何かをしてその対価として報酬をいただくものです。好きなことをして勝手にお金が入ってくる。そんな都合のいい仕事なんてめったにありません。あったとしてもいずれ成り立たなくなります。

「人の役に立つ仕事?そんな綺麗ごと言ってられないよ」と思うかもしれません。そう思うのは自由です。人の役に立たなくても、好きなことをしてお金儲けができればそれでいい。そう考える人もいます。でもそれは天職とはいわないのですね。自己満足なんです。

もちろん生き方は人それぞれですから、自己満足で生きてる人はいっぱいいます。

そういう生き方ができないのは悔しい、と思かもしれません。それなら「天職が見つからない」という言い訳はせずに「楽して儲けられないからいやだ」と心に正直になればいいのです。

天職に込められた意味

なぜ天職に人に役立つという意味があるのでしょうか。それは言葉の成り立ちをみればわかります。

「天職」という言葉は古代中国に遡ります。古代中国では皇帝は天から選ばれた人がなるものだと考えられていました。天とは神と考えてもいいです。

人間の世界を治めるのにふさわしいと天が判断した人が皇帝に選ばれると考えられました。そこから「天から与えられた役目」という意味で「天職」という言葉が生まれました。

「天から与えられた役目」ですから、個人の都合だけではなれません。

皇帝になりたいと思う人は大勢いたでしょう。例え武力や財力があってもそれだけでなれるものではありません。

また、世の中を治める人はその立場にふさわしい行いをすべき。そんな意味も込められています。

「権力者が庶民のことを考えるわけないだろ」という現実的なツッコミはおいといて。もともとはそういう思想が「天職」の始まりななんですね。

だから現代でも「天職」といえば、単に「好きな仕事」「やりがいのある仕事」だけを意味するわけじゃないんですね。必ず「人の役に立つ」ことが求められます。

ビジネス書的にいえば「社会のニーズがある」ということです。

人の役に立って、その対価で自分が生かされている。そこに生き甲斐を感じる。それが天職 なんです。

 

好きなこと=楽なことじゃない

もちろん好きなことを仕事にするのは悪いことではありません。仕事を選ぶきっかけにする人もいると思います。何も決められない人より、ずっとかっこいいと思います。

でも仕事としてやるからには「プロ」なんです。例え有名ではなくてもその道のプロとして生きていかなくてはなりません。

好きなことでも仕事になると苦しいこともあります。やめたいと思うこともあります。

プロ野球選手や漫画家、芸能人も自分の好きな道を選んだ人だと思います。でもみなさん苦労しています。ときには世の中から逃げ出したいような気持ちになる人もいるそうです。好きなことを選んでも苦労は付きものなんですね。

 

天職は決まっていない

自分の天職は何か?

と、悩んでる人は多いようです。天職という言葉には定義はあります。でも何を天職にするかは人によって違います。同じ仕事をしていても仕事に対する考え方は違います。

だから何が天職かと聞かれても答えられない人がほとんどなんです。天職というのは人生が終わりに近づいて、「今考えてみれば・・・」と振り返ったときにようやく分かるものかもしれません。

自分のやりたい仕事を求めて転職するのは悪いことではありません。なかなか仕事を決められないこともあると思います。

でも天職がわからないから仕事を決められない。天職じゃないから仕事を辞める。というのは、ちょっと違うんじゃないかって思います。最初から天職を求めるのは、逃げ道を探しているだけじゃないかと思うのです。

天職はあとからわかるもの

つまり。天職は結果論なんですね。
最初から天職は決まってるわけじゃありません。
中途半端な経験でわかるものでもありません。

幻を追いかけるより、とにかくやってみる。頑張ってみる。それでだめだと思ったら仕事を変えてみる。その繰り返しの結果、あとで気づくのが天職なのかもしれません。

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