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会社員の立場で考える過労自殺がなくならない理由

過労

テレビや新聞なんかのマスメディアでは、過労死が報道されると。

「また自殺!」
「なぜ自殺がなくならないのか?」

なんて記事が目につきます。

でも、過労自殺は今に始まったことじゃありません。珍しいことでもありません。なぜなら、毎年400~500人は過労死・過労自殺で労災の申請を行っているからです。

厚生労働省の集計によると2015年の過労死・過労自殺の労災申請件数は482件です。この10年ほぼ横ばいで減っていません。

申請を行った人だけでこの数です。実際にはもっと多いです。

労災申請は会社が認めないと出せないと思ってる人もいるかもしれません。でも、実際には会社が拒否しても出すことはできます。でもそれができないと思ってる人は多いです。出すのをためらう人も多いと思います。

でも、本人がいないと遺族だけではなぜ亡くなったのか理由がわからないことが多いと思います。会社が「問題ありません」と言ったらどうしようもないんです。

電通の高橋さんの場合は文字情報などの第三者に分かる形で過労の記録が残っていたから遺族の方も過労の実態を知ることができたのかもしれません。

過労死している方は実際にはこの数倍、数十倍はいるかもしれません。

 

目次

過労死や過労自殺がなくならない理由

 

なぜ過労死や過労自殺がなくならないんでしょうか?

専門的?(この定義もあいまいですが)な立場から分析するとまた違った意見がでると思います。いち般社員の立場から思いつく限りでその原因を考えてみたいと思います。

会社に原因があると証明するのが難しい

経験上。企業は社内で仕事中に事故が起きたら重大に受け止めることが多いです。とくに仕事中に死者が出た場合は非常に重く受け止めて対策をとります。

でも会社によってはケガなら個人の責任にされることもありました。そういう会社はブラックか、古い体質の企業が多いです。

作業現場で死者が出たら隠しようがありません。だから企業も認めて賠償や対策をとらざるを得ません。

でも家で亡くなった場合や。会社以外の場所で自殺した場合はどうでしょうか?亡くなったことと、仕事を結び付けることの証明は非常に難しくなります。

具体的な遺書や記録があればまだ責任追及がしやすいです。でも、何も言わずに亡くなった場合。家族にも原因が分からないです。仕事が原因では?と疑いたくなりますが、漠然とした理由で争っても必ず負けます。一般の人が企業を相手に争うのは並大抵のことではありません。

医療ミスを素人が追求するのが難しいのと同じです。具体的な記録がないと過労死を証明するのは難しいのです。

電通の高橋さんの場合。SNSなどが記録として認められたようです。日々の様子を書き綴っていたのが結果として第三者にも過酷な様子を理解してもらう助けになったようです。

あの電通がよく労災認定を認めたものだと思います。普通なら黙殺されていたと思います。そのくらいのインパクトのある証拠になったのかもしれません。

逆に言うとそのくらいの証拠がないと認めないってことです。

企業は善意で動いてるわけじゃないです。社内で自殺者が出たからと言って、自発的に会社の責任を認めることはありません。

社員の命は軽い

ショッキングですが企業にとって「社員の命は軽い」です。

もちろん仕事中の事故で無くなると重い命と受け止めます。でも会社の外で仕事以外のことをしてて亡くなった場合は関係ありません。むしろ企業の損失(賠償、イメージ低下、仕事の停滞)を心配します。だからできるだけ会社の責任を認めません。

ブラック企業の場合、もともと社員を人間扱いしてませんから命も軽くなります。「これくらいのことで死ぬなんて使えないやつ」と考えます。武蔵野大学の教授(元東芝役員)が「100時間残業で過労死は情けない」と発言したのがいい見本です。これは言葉の選び方が悪かったという問題ではなくて、経営者の本音だと思います。

企業にとって社員は組織を構成する駒・部品。交換要員はいくらでもあるんです。あなたも愛車のタイヤがパンクしたら交換しますよね。そのとき「気に入ってたタイヤなのに残念だなあ。悲しいなあ」って思うでしょうか?「高かったのに、パンクかよ」って思う人はいるかもしれませんが、ほとんどの人は「しかたない」で済ませると思います。そんな感覚に近いと思います。

人はデーター上の存在でしかない

特に会社の上層部になると社員を数字というかデータでしか把握していないように感じます。社員が1万人いたら10,000分の1の存在です。かけがえのない家族とは重みが全然違うんです。

もちろん大企業になればトップがいち社員の名前を覚えるのは不可能です。そんな必要もありません。大きな視点で会社の存続を目指すべきです。

でも血の通った人間が働いてるという考えは持っていなければいけないと思います。ただのデータじゃない。血の通った人たちの上にいる。自分にはその人たちの生活がかかってるという想いがなくてはいけないと思います。

ところが「社員は人間」という感覚が薄れてきて組織を作る一部になると人格は無視です。

社員がデータ上の存在、組織を作る部品になってしまうと個人の苦しみは理解できません。「店舗を一人で夜間勤務」「従業員30%削減」「残業200時間?80時間以上は記録しなければいい」って言えるようになるのも社員をモノやデータとして考えてるからなんですね。

 

もちろん他にも原因はあります。あくまでいち従業員から考えた場合、このような原因も考えられる。というひとつの説に過ぎません。それぞれの立場で原因を探ってどうすればいいのか考えてほしいものです。

 

命をかけてもいい場所なのか考える

働く側としては会社を過信しないことです。きっと助けてくれる。なんとかしてくれる。というのは甘い幻想にすぎないと思ったほうがいいのかもしれません。そして、危ないと思ったら別の手段で生活を維持する方法も考えたほうがいいと思います。

その方法は転職、独立などいろいろあると思います。転職は難しいと思われがちですが、僕は40代でも転職しました。20代、30代ならもっと簡単なはずです。もちろん無理に転職する必要はありません。でも今の会社にいるだけが選択肢なのか考えてみるのもいいかもしれません。

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