新聞を見ていると、「高校歴史用語」「慰安婦」採用「竜馬」削除を。
という記事が目につきました。
龍馬といえば「坂本龍馬」ですよね。
なぜ幕末の歴史でも有名な坂本龍馬を教科書から削る必要があるのでしょうか?
気になったので各新聞社のサイトを見て報道内容を確認しました。
朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/DA3S13226347.html
読売新聞
産経新聞
http://www.sankei.com/column/news/171204/clm1712040003-n1.html
朝日新聞は単に脱暗記のため単語の数を減らす、としか書いてません。
読売新聞とサンケイ新聞は教科書に載せるべき言葉として「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」があることを問題にしています。
わかったことは文部省が検討しているわけではない、こと。民間団体が提案をしようとしてるらしいです。
なぜそのような提案をするのでしょうか?
覚える単語の数を減らすだけなら、ゆとり教育と同じです。テレビの報道でも暗記中心の勉強になって大変だから単語を減らした。という程度の報道しかありません。
でも本当の問題はそれだけではないようです。
テレビ報道では矮小化されてわかりづらい問題点。この提案の問題点はどこなのでしょうか。
高大連携歴史教育研究会は共産主義者のあつまり?
今回の提案をしたのは「高大連携歴史教育研究会」という組織。
高校や大学の教員で作る民間の研究団体のようです。
ここの代表をしている「油井大三郎」という人を Wikipedia で調べると「朝鮮戦争は開放・統一のための戦争であること。朝鮮国内の内戦であり米軍が介入するのは不当。また、韓国による北朝鮮への侵略の可能性があり、北朝鮮は反撃しただけ」と主張している人のようです。
現実には、朝鮮戦争は北朝鮮の先制攻撃で始まりました。韓国が先に攻撃したなら、開戦3日目でソウルが占領されるなんてことはありません。戦う準備ができていなかった韓国はソウルはおろか国土の大半を占領されて朝鮮半島の南に追い詰められました。北朝鮮が反撃しただけなら、韓国が短期間でここまで追い詰められるなんてことはないはずです。
つまり、高大連携歴史教育研究会は北朝鮮の代弁者が代表を務める組織になります。
高大連携歴史教育研究会の全員が北朝鮮の味方なのかはわかりませんが、少なくとも代表を務める人は北朝鮮の味方のようです。しかし教師に共産主義者が多いのは昔から言われてること。高校や大学の教員で作る民間の研究団体なら共産主義者の集まりかもしれませんね。
そんな人たちが作ったのが「高大連携歴史教育研究会歴史系用語精選の提案」。
教科書の単語を減らすことについては、高大連携歴史教育研究会のサイトにはこのように書いてます。
高等学校の歴史教育では、従来、教科書に収録した用語の暗記中心の教育が行われることが多かった上、教科書の収録用語が改定の度に増大し、古代から始めた授業が近現代まで到達せずに終わることが多くみられました。
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わかりやすくいえば、単語が多すぎて暗記中心の授業になってるので、近現代まで教えることができない。ということでしょうか。
そこで3600ある単語を約半分の1600に減らすべきだと主張しているようです。
削除される単語の中には「坂本龍馬」「吉田松陰」「武田信玄」「上杉謙信」などがふくまれているようです。
確かに坂本龍馬はテレビや小説で描かれてるほど、すごい人ではなかったかもしれません。でも藩や組織のしがらみがあって自由に動けない人に変わって「薩長同盟」や「大政奉還」を実現するために働いた人物の一人であることは変わりません。
政府要人になってないから、西郷隆盛や大久保利通より貢献度が低いから削るというだけでは無理があります。それなら民間人で直接歴史には関わっていない幸徳秋水や津田左右吉を教科書に載せるべきとあるのはなぜでしょうか?
吉田松陰は一見すると地味ですが。後に倒幕運動をする人々の教育を行い、統幕の機運を盛り上げたという点では一定の評価がされるべきでしょう。江戸幕府からすればテロリストを育てた思想犯という考え方もできます。
でも異なる立場からいろいろ考えるのも「主体的に考える教育」になっていいと思います。むしろ絶好の教材ではないでしょうか。
ゆとり教育の再現か?
数が多いから減らせというは「ゆとり教育の再現」になるんじゃないでしょうか?現在でもゆとり教育の弊害はいろいろ言われていますよね。
確かに外国にとっては日本人から考える能力がなくなれば都合がいいのは間違いありません。でも日本の教師が問題にすべきなのは学生に考える力をつけること。教師たちは学生を知識の少ない偏った思想の人間にしたいのでしょうか?
暗記教育が悪い、といいますがそれなら何をするのでしょうか?
高大連携歴史教育研究会趣旨にはこのようなことが書かれています。
「主体的で対話的な深い学び(アクティブラーニング)」の導入をめざしています。
何でしょうね?これだけではよくわかりません。
手がかりになりそうな言葉があります。単語の数が多いといながら採用された言葉があるからです。「従軍慰安婦」「南京大虐殺」「津田左右吉」などです。
外交問題が教育の場に
従軍慰安婦や南京大虐殺については研究者の間でも議論の分かれている問題です。
今の日本政府の見解と中国や韓国の主張は違います。捏造ではないかという意見もあります。学術的にも決着していない今この段階で、学校の教科書に載せるのがいいのか疑問に思います。
もともと「従軍慰安婦」という言葉は戦時中には存在しません。戦後になって政治的な目的のために造られた言葉です。
日本軍や日本政府が強制的に若い女性をさらって奴隷にしていたというには客観的な資料が少なすぎます。
南京大虐殺も不明確な部分が多すぎます。南京攻略のときに犠牲者が出たのは間違いありません。それが戦争だからです。仮に日本軍による行き過ぎた行為があったとしても、研究する場合は「南京事件」とするのが一般的です。できるだけ客観的に扱うのが日本の歴史研究の建前だからです。
「南京大虐殺」はもともとマスコミが刺激的な見出しをつけるために好んで使用した言葉。残虐性を誇張した言い方は政治的な意図があるのです。
戦争でも原子爆弾の投下や真珠湾攻撃など歴史的な転換点は教える必要があると思います。しかし歴史の授業でいちいち個別の戦地の戦いを教える必要があるのか疑問です。
歴史学者は一次資料がなければ事実と認めないと主張します。それなのに客観的な証拠に乏しい従軍慰安婦や南京大虐殺を歴史的な事実として学校で教える必要があるのか疑問です。
仮に人権的な意味で従軍慰安婦や南京大虐殺を教えるというのなら。終戦後の引き揚げ時に大勢の日本人が被害にあったこと(引き揚げについて検索)を日本史で教え。世界史ではチベット問題(チベット問題を検索)やライダイハン問題(ライダイハン問題を検索)を教えなくてはいけません。
あと、どの報道でも触れていませんが従軍慰安婦や南京大虐殺と同じくらい政治的な思惑があると考えられる単語を発見しました。「津田左右吉」という人物名です。
津田左右吉?学問で皇室を否定するきっかけ
津田左右吉といっても知らない人が多いと思います。
戦前に日本書紀の内容を批判的に解釈して、日本書紀は嘘を書いているとか、神武天皇や聖徳太子の実在を否定した人です。
現代でも「聖徳太子はいなかった」などと話題になります。それを公式的には最初に発表した人です。教科書で聖徳太子を厩戸王子と書くようになったのも津田左右吉の影響です。
戦前は皇室の権威を傷つけることがタブーだった時代。皇室批判といわれかねない津田の研究は、ある意味衝撃的だったでしょう。
ただし、津田自身は皇室そのものを否定する気はなかったようです。でも「天皇制を否定したい」人たちにとっては良い口実をあたえる出来事でした。
学問的に追求したら結果的に皇室の権威を否定できる(廃止は無理でも、権威を落としてただの人にすることは可能)というからくりになるからです。
坂本龍馬、吉田松陰を歴史から消して津田左右吉を教える。ここからみえることは何でしょうか?
津田左右吉を教えるということは「戦前から天皇制を批判した人がいた」と教えることです。
李氏朝鮮に友好的な江戸幕府を潰し、後に朝鮮と満州を占領することになるのが明治政府。結果的に明治政府を作る手助けをしたのが坂本龍馬や吉田松陰。
皇室否定のきっかけを作った津田左右吉は特定の思想の人達にとっては、坂本龍馬や吉田松陰よりも英雄的な人物かもしれません。
でも、日本の歴史を考えるだけなら坂本龍馬や吉田松陰を外して津田左右吉を候補に入れるのは不自然です。
明治維新が起きたいきさつや意義の記述を減らし、それによって出来る日本政府の非道さ(解釈によりますが)を増やしたいだけではないでしょうか。
減らすと言ってるわりに不可解な言葉が多い
他にも、こんなの歴史の授業で教える必要があるの?と思える単語もあります。
「幸徳秋水」。死刑になった社会主義者。他にも明治以降の思想家・政治的な運動家が多く入ってます。単語を減らすと言ってる割に近現代がやたらと詳しいです。共産主義者にとっては重要な人物かもしれませんが、日本の歴史にとっては大きな意味はない。少なくとも吉田松陰ほどの影響力はなかったでしょう。選考基準が不透明ですね。
「逆コース」。GHQの日本占領時の方針転換です。この単語は左翼系の人が使うことが多いです。教え方次第では偏った思想になる危険性があります。
「歴史認識・教科書問題」。これは現在進行系の外交問題です。歴史で取り上げる内容とは違うと思います。というより、なぜ教科書に「教科書問題」を載せる必要があるのか不思議です。
坂本龍馬や吉田松陰など日本の歴史に影響を与えた人を削ってまで思想的・政治的な思惑の強い言葉を歴史の授業で教える必要性があるのでしょうか?
教科書に載せるべきと提案した単語の一部がサンケイニュースに載っていたのでリンクを載せておきます。
歴史境域は思想教育の場ではない
高大連携歴史教育研究会は暗記教育を減らして「主体的で対話的な深い学び」を増やすといいます。
「対話的な深い学び」とは、教師が生徒に多くを語りたいのでしょうか。生徒が納得するまで繰り返し頭に叩き込むのでしょうか?
それって、教師による洗脳 ではないでしょうか?
「日本はひどい国だ」
「日本は中国人や韓国人を虐殺して奴隷にした極悪非道な国だ」
と、学生が偏った思想をもってしまったら日本の未来はどうなるのでしょうか?
国による思想教育を否定したのは日教組(日本教職員組合)でした。では、教師の思想なら生徒に押し付けてもいいのでしょうか?
いまでも日本人は自虐的になって他国の言いなりです。高大連携歴史教育研究会の提案したとおりに教育したら、その傾向がさらに強くなってしまうのではないかと心配です。
高大連携歴史教育研究会の行いに対して文部省は「こうした提言例は聞いたことがない」「用語を記載するかはあくまで教科書会社の判断」としています。
歴史教育を思想教育の場にしてほしくないですね。
文部省や教科書会社はこの圧力に逆らうことが出来るでしょうか?
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