京都のパワハラよけの神様 護王神社で仕事がうまくいくように祈願

護王神社 お出かけ
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仕事をしていると問題が山のようにあります。

自分では責任を取らなくせに偉そうにな嫌な上司。
無茶な要求を押し付ける理不尽な取引先。
最近ではちょっと厳しくするとパワハラだと騒ぐ使えない部下もいますね。

会社勤めはストレスがたまりまくりです。

会社勤めでなくても、自営業でも同じです。取引先や顧客への対応は自分でしなければなりません。理不尽な要求に苦しんでいる自営業の人もいると思います。

もちろん自分でできる努力はします。人に相談することもあるでしょう。それでも限界がありますよね。

「何かに助けてほしいな」

と思うこともあります。

そんなときに護王神社が「災難よけにご利益があるらしい」という噂を聞いたので行ってきました。

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護王神社がどうして災難除けの神様なの?

護王神社といえば京都にある神社。足腰の神様として有名です。確かに40代にもなればそろそろ足腰に不安のでる時期です。

「でも今はまだ助けを求めるほどじゃないな」と思いつつ神社関係の本を読んでいると「災難よけ」のご利益があることを知りました。

「なんで災難除け?」と思いつつ御祭神を調べると。

御祭神は和気清麻呂(わけのきよまろ)

「ワケノキヨマロ?誰それ?」と思う人も多いかもしれません。

マロって付いてるから公家かな?くらいに思います。

僕はちょっとばかり歴史に興味があります。それでも「道鏡事件のあのひとかな?」と漠然と思ったくらい。そこであらためて歴史のお勉強をしたので簡単に紹介します。

和気清麻呂って誰?

和気清麻呂

これは護王神社にある銅像。公家というか役人姿ですね。

そのとおり!奈良時代の役人です。

そもそも道鏡事件とは日本の歴史を変えたかもしれない大事件。歴史好きな人の間では有名です。

奈良時代の僧侶・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が天皇の位を奪おうとしたのですね。

道鏡は当時の称徳天皇(しょうとくてんのう)に気に入られて側近になった人です。

僧侶なのに天皇のブレーンになって政治を動かしていたんですね。

称徳天皇は女帝だったので愛人関係があったんじゃないかといわれることもありませす。でもそれはこの際関係ありません。問題なのは称徳天皇が皇族でもない道鏡に天皇の位を譲ろうとしたことです。

当然、周囲の人は反対します。でも天皇の意思を変えるのは簡単にはいきません。

そこで和気清麻呂は「道鏡を天皇にしてはいけない」と宇佐八幡の神のお告げがあったと天皇に報告しました。さすがに神のお告げがあったと聞いては、称徳天皇は道鏡を天皇にするのを諦めるしかありません。そういう時代です。

そのかわり和気清麻呂は都(平城京)から大隅国(今の鹿児島県)に異動になりました。

現在でいうと和気清麻呂は中央官庁で務めるエリート役人。しかも総理大臣の指示で動いているトップクラスの役人です。その中央のエリート役人が地方の役場にとばされてしまったのです。

つまり和気清麻呂は天皇に逆らって左遷された人物です。

「信じていたのに裏切られた!あんたなんてキライ!」と称徳天皇が言ったかどうかはわかりません。

しかも清麻呂は、称徳天皇から「穢麻呂(きたなまろ)」という名前に変えさせられてしまったのです。

あだ名ではありません。

本当に名前を変えさせられてしまったのです。かなり嫌われていみたいです。

これってすごいパワハラですよね。

現代で会社が社員を変な名前に変えさせたら人権問題になりますよ。

とまあ、彼自身は左遷されてしまったのですが道鏡が天皇になるのは防ぎました。

たしかにこれだけでも凄いです。でもここで終わったらよくある偉人伝です。

このあと清麻呂はどうなったかのでしょうか。

なんとわずか1年で称徳天皇が死亡。後ろ盾のいなくなった道鏡は失脚。あっという間に清麻呂の敵がいなくなりました。そこで清麻呂は都に呼び戻されたのです。

なんと運の強い人でしょうか!

その後、清麻呂は派手ではありませんが地道に役人として実績を重ねます。すると桓武天皇が「和気清麻呂は知識が豊富で実務能力に優れた人物だ」という評判をききつけました。

桓武天皇は「平城京からの遷都」を目指していた人。

その大プロジェクトに必要な人物として清麻呂を抜擢したのです。和気清麻呂は長岡京建設に必要な大坂~京都間の水路を建設。治水工事も行いました。というのも長岡京建設に必要な資材は大坂から京都に運び込んでいたからです。

桓武天皇が張り切って造っていた長岡京。ところがどうも失敗作とわかってしまいます。洪水に襲われたり水はけが悪くて疫病が流行したんですね。しかし天皇の命令ですから誰もやめようとは言えません。

しかし清麻呂は「時間とお金をかけたわりに工事が進んでいない、長岡京建設は諦めて京都に都を作り直しましょう」と桓武天皇に意見したのです。

京都市は今でこそ有名な観光都市ですが、当時は山背国葛野郡と呼ばれるド田舎。大和(奈良県)の人から「山の後ろだから山背(やましろ)」と馬鹿にされるくらいド田舎でした。でも清麻呂は葛野郡(京都市)が都にふさわしい土地と判断したのでしょう。

またしても天皇に意見したわけです。でも桓武天皇は清麻呂を左遷したりはしません。桓武天皇も清麻呂のいうことはそのとおりだと思ったようです。長岡京建設を中止して新しい都を造ることにしました。

そして桓武天皇は和気清麻呂を新都建設の責任者に抜擢。清麻呂は残りの一生を新都建設に捧げました。そうして完成したのが平安京です。

つまり。和気清麻呂は平安京を造ったすごい人なんです。

平安京がなければ現在の京都市もありません。京都市民はもっと和気清麻呂を尊敬してもいいくらいです。西郷菊次郎を今頃表彰するくらいなら、和気清麻呂も表彰してやれよ。と思います。

平安京建設を決断したのは桓武天皇ですが、その桓武天皇に意見する人がいなければ平安京はなかったかもしれません。平城京に戻そうという意見もあったくらい。

と、長くなってしまいましたが和気清麻呂の人生を紹介しました。

つまり和気清麻呂の人生をまとまると。

・称徳天皇と天皇の側近弓削道鏡に逆らって左遷された。
・左遷されてもわずか1年で戻ってくる。
・桓武天皇に抜擢されて重要なポストを与えられる。
・桓武天皇に長岡京建設中止を意見する。
・平安京建設の責任者になる。

となりますね。

和気清麻呂が凄いのは

・相手が天皇でも駄目なものは駄目だと意見する意志の強さ。
・その結果、左遷されても戻ってくる運の強さ。
・周囲から必要とされる高い能力をもっていた。

こうした功績もあって現在でも神として祀られています。

和気清麻呂はもともと皇室の血筋を守った忠臣として崇拝されていました。しかし清麻呂の凄いところはそれだけではないんです。

まじめに働いていれば報われる。という良い見本ですね。

サラリーマンならこうありたいですね。

というわけで、和気清麻呂が神として祀られている護王神社に行ってきました。

護王神社に行ってきました

護王神社があるのは京都御所の西隣。京都市のど真ん中ですね。

京都市内は混雑するし駐車する場所も少ないので車で行くのは無謀です。

京都市営地下鉄で行きました。

烏丸線の「丸太町駅」で降りて南に向かいます。京都市を南北に走る大きな通りは烏丸通(からすまどおり)。車がバンバン行き交ってます。京都御所や神社仏閣などの観光名所が多いこともあって歩道も人が多いですね。歩くこと約10分。

鳥居が見えてきました。

ちなみに烏丸通を南に向かって歩くときは左側の歩道を歩いてください。

京都御所側の歩道を歩くとこのように護王神社は道の反対側になります。

護王神社

近くに交差点があるからすぐに渡れますけどね。

鳥居の前には猪の像があります。護王神社では狛犬のかわりに猪になってるんですね。

狛猪

狛犬の代わりに猪がある神社って珍しいですね。

猪の大群が和気清麻呂を守ったという言い伝えから、猪が神の使いとして祀られています。

ちょうど来年(2019年)は亥年。2019年は賑わいそうですね。

入り口には石でできた丸いものがあります。「足萎難儀回復御守護石」というそうです。

これを回すと「足萎」つまり足の怪我や病気にご利益があるのだとか。

お寺には、こういうやつはよくありますね。神社にあるのは珍しい。文字が彫ってるのは祝詞なのかな?

せっかくなので回してきました。

神社なので本殿にお詣りします。

護王神社

御祭神は和気清麻呂と和気広虫。

和気広虫は清麻呂のお姉さんです。「ひろむし」って変わった名前ですね。広虫は宮中の女官ですが、戦災で親を失った子供を集めて育てました。日本初の孤児院を作った人です。称徳天皇に仕えた側近でしたが、道鏡事件で流罪になりました。その後、清麻呂とともに復帰して桓武天皇に仕えてます。姉弟そろって大変な人生を歩んでますね。

足腰の神様なのはどうして?

京都では護王神社は足腰の神様として有名です。

足腰が治るように願かけの場所とかあります。

でもなぜ足腰の神様なんでしょうか?

護王神社が足腰の神様といわれる理由はこんな理由があります。

道鏡の天皇即位を阻止した清麻呂でしたが、道鏡の手下に襲われて足が不自由になっていまいます。その後、大隅国に流罪になりました。大隅国に行く途中、清麻呂は宇佐八幡に参拝することにしました。すると猪の大群が現れて清麻呂の乗った輿を守るかのように取り囲んで並走したそうです。しばらく並走した後、猪は山へ行ったそうです。そして清麻呂は無事に宇佐八幡にお参りをすませました。

すると、不思議なことに清麻呂は足の痛みがなくなっているのに気づきました。清麻呂は歩けるようになったのです。

この話を聞いて。清麻呂の足腰が治ったのは宇佐八幡に参拝したからでは?とか猪と清麻呂の進む方向がたまたま一緒だっただけでは?とか思ってはいけません。

言い伝えとはそういうものです。

猪は神がよこしてくれた神の使いなのです。

でも、僕がこの神社に来た目的は「災難除けのため」。

仕事で左遷されても、ライバルに妨害されても戻ってくる。
まじめに働き続ければ、いつか報われる。

そんな働く人達のためになるご利益をもとめてやってきたのです。

もちろん、ただお願いするだけではいけません。「自分も頑張るから見守ってください」と誓いをたてるのです。

そうすることで「自分も頑張ろう」と思えてくるからです。

和気清麻呂にあやかって仕事をがばろうと気持ちを新たに

ご利益というと楽して得をしようと思う人がいるかも知れません。でも、そうではないと思うんですよね。あくまでも自分がどうするかが問題。そのための心の持ち方だと思うのです。

エリート官僚の清麻呂が都から地方にとばされたときは絶望的な気持ちになったかもしれません。

しかし、清麻呂は左遷されても腐らずに仕事をしていたから、桓武天皇に抜擢されて大切な仕事を任されたのです。

そんな清麻呂にあやかって自分も仕事を頑張ろう。

という気持ちを新たにしました。

もちろん、人間の力ではどうにもならない部分もあります。だから努力したうえで最後のひと押しを神様にお任せする。って感じですかね。

だからお守りも求めますよ。護王神社のお守りは足腰関係のものが多いのですが、サラリーマンや仕事をしている人にお勧めまのは「職難お守り」です。

仕事のトラブルやパワハラから守ってくれるかもしれませんよ。

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