後半は必要なかった宇宙戦艦ヤマト2202新星篇

TV・映画・アニメ
スポンサーリンク

宇宙戦艦ヤマト2202第7章新星篇観てきました。

最後ですからどうなるのか気になります。

彗星帝国(ガトランティス)との戦いなのに超巨大戦艦が出てこない!デスラーの見せ場がない!こんなのヤマト2じゃない。

というのはおいといて(個人的には重要ですが)。

最終章を見た感想を書きます。

スポンサーリンク

7章を観るまでの感想

ヤマト2199が面白かったのでヤマト2202も楽しみにしてました。

ところが前章まで見たかぎりでは。

「この作品はつまらない。期待はずれ」

個人的にはヤマト2(ガトランティス戦)の見せ場は再建した地球軍とアトランティス軍との大規模な艦隊戦だと思っていました。

ヤマト1(ガミラス戦)ではまともに戦えるのはヤマトだけだったのでヤマトだけの活躍になってしました。でもヤマト2ではアンドロメダ以下波動砲艦隊があります。もちろん主役はヤマトですからアンドロメダ以下地球軍艦隊は最終的には壊滅してヤマトの活躍で終わりです。でもヤマト2(さらば~ではないテレビ版の方)では地球軍艦隊もそこそこ健闘してたんですね。

これが「最新の作画技術で描かれた艦隊戦はどうなるんだろう」と期待していました。2199の戦闘場面が良かっただけになおさらです。

ところが・・・2202の戦闘場面は何の工夫もない大量破壊兵器と物量のぶつかり合いの連続。

正直、飽きます。

確かに旧作のヤマト2の戦い方はリアルではないかも知れません。製作者もそれはわかっててあえてやっていたようです。

それなら新作には新解釈の戦い方もあるのでは?と思ったのですが。

ところがただの物量作戦でした。お互いに物量で勝負するから戦闘場面が単調になってしまう。

船が並んで、ただビームやミサイルを撃ってるだけ。

ガンダムの艦隊戦ならそれでもいいでしょう。

でもヤマトに求められるのはそうじゃない。船好きが期待する戦いをわかってない。ゲーム感覚で戦闘を考えるとこうなるんだろうなと思いました。

次元断層は無限に物をつくれる魔法の箱ではない

もっというと。次元断層の設定がおかしくなってる。

2199ではコスモクリーナーで地球を再生させました。
2202ではその副作用で産まれたのが次元断層ということになってます。

次元断層の中では外の10倍の速さで時間が進みます。だから10年かかる作業が1年でできます。これを使って地球連邦軍は新型戦艦を製造しました。

しかし、次元断層は時間が10倍になるだけ。

資源や予算が10倍になるわけではありません。

劇中では「次元断層あるかぎり戦力は無限だ」と言っていたけど戦艦を作る資源と予算は無限じゃない。

製作者は自分で作った設定を忘れてるとしか思えません。ゲーム感覚で戦闘モノをつくるとこういう発想になるんでしょうね。

もしかすると次元断層の中では資源やお金が増えるのでしょうか?だとしたら世界のためにもなおさら次元断層は残しておくべきですよね。

というのが前章までの感想。

面白くないと感じてもここまで見たら最後は見ないと気がすまない。というわけで見てきました。

7章の感想

7章を見た限りでは意外と楽しめました。少なくとも6章よりはマシだった。前半は。

ガトランティス人は人工生命体なので滅びの方舟には人工生命体を停止させる機能がある。そこで彗星帝国の心臓部に突入してその機能を発動させようというのが今回の作戦。

まずはトランジット波動砲を使って彗星帝国を一発で撃破。

地球軍艦隊の総攻撃でも破壊できない彗星帝国の防御を一発でやっちゃいました。

もちろん彗星帝国を破壊しても中心施設は残ってます。

そこに突入。なんでかはわからないけど、彗星帝国の心臓部にはワープでも突入できないらしいので次元潜航艇の機能を使ってヤマトを送り込みます。寝返った元巫女(ガトランティス部隊のコントロールができる)を使って敵艦艇を乗っ取って味方にする。などのアイデアも面白い。結局サーベラー(のクローン)に居場所を突きとめられて破壊されてしまうのですが。そこからダイジェスト風にいきなり古代とズォーダーが対決する場面になる。古代はあいかわらず話し合いで解決しようとするものの説得は失敗。

まあいい。ヤマト2202だから多くは望まない。

でもなぜかズォーダーが自ら滅びの方舟を発動させて味方であるはずのガトランティス人を全滅させてしまう。でもズォーダーは死なない。ガトランティス人じゃないのか?

私の解釈が正しければ、滅びの方舟と一体になったので無事らしい。

どうやらズォーダーはいつの間にかガトランティス人としての意思ではなく滅びの方舟の意志で動いている様子。

滅びの方舟はキーマンの特攻で撃破。キーマンがなぜ特攻に志願したのかは不明。

キーマンは旧作にはいないキャラだし生かしておく意味もないか。デスラーの出番を奪っておいて最後は使い捨てとは。

ともかく爆弾一発の特攻で機能停止。一応、波動なんとかの普通じゃない爆弾は使ってます。

やったかと思われましたが滅びの方舟は生きていてビームを発射。

滅びの方舟が旧作の超巨大戦艦に相当するようです。でもデザインが全く違うので違和感あります。一部分だけ似せているので「これが超巨大戦艦なんだ」と自分にいいきかせるしかありません。

滅びの方舟のビーム攻撃でで月の一部が壊れてしまいます。旧作では月がまるごと吹っ飛んでしまう大惨事でした。2202では1/4程度の破壊にとどめた様子。中途半端。2202では月には都市があって人類が移住してます。

でもまるで月への攻撃を予知していたかのように月都市に人々は避難してたので無事でした。緊迫感も悲壮感もゼロ。

ヤマトの最後は意外と普通

ともかく。万策尽きた。総員撤退。ヤマト特攻。

「劇場版・さらば宇宙戦艦ヤマト」と同じ流れ。

でもTV版ヤマト2のようにテレサも出現。

『テレサが出現したらヤマトは特攻しなくてもいいんじゃない?』と思いましたが。

「一緒に行きましょう」と道連れにするのが2202のテレサ。

『何しに出てきた?』

結局、彗星帝国との戦いの結末は劇場版とTV版の折衷案で解決。

どこが「あらゆる予想を覆し、真実のラスト」なんでしょうか?

ヤマトには古代進と森雪が乗っているので二人は行方不明。死亡でもないし帰還したわけでもない。

というわけで結末は意外にも新しい要素はなし。テレサが道連れを選んだのが違うといえば違う流れ。確かに折衷案だとは予想しなかった。ウソではないけど釈然としない、法の穴をくぐるようなタイトル。いいのかこれで?

あとは後日談が延々と流れます。
必要ですか?この部分。

古代進と森雪を殺したままにはできないでしょう。
という意見はあると思います。続編を作る気があるかどうかはわかりませんが制作サイドとしても主人公とヒロインを殺すのは得策ではないはず。

というわけで話は続きます。だぶんここが「真実のラスト」になるんでしょう。

必要のないラスト

ガトランティスとの戦いから半年後。なぜか次元断層にヤマトが出現。船には山本はいたけど古代進と森雪は乗ってない。どうやら二人は次元に取り残されている。というわけで古代たちの救出作戦が始まります。

でも二人のいる次元に行くには無限に近いエネルギーが必要。でも帰ってくるのに大きなエネルギーは必要ない。なんで?

真田は莫大なエネルギーを生み出すための作戦を立案。でもそれをやると次元断層そのものが無くなってしまう。

もちろん政府は反対。というのも外の世界の1年が次元断層の中では10年の月日が流れる特別な世界。つまり竜宮城の逆バーション。

10年かかる仕事も次元断層の中でやれば実質1年でできる。おかげで大量の戦艦を建造できたので軍は大喜び。そんな大事なものを本当に生存してるかどうかも分からない2人の救出作戦のために失うわけにはいかない。というわけです。

そこで2人の救出をするかどうか、国民投票で決めることに。そして救出作戦が決行。無事救出。めでたしめでたし。で終わり。

観終わった感想は「・・・喜べない。シラけた

ガトランティス戦終結から半年後の話は必要なのか?

古代と森雪を殺したくないならテレサだけ特攻させろよ。

次元断層残したくないならストーリーの中で消化しろよ。

そもそもなんで

製作者が物語を自由にできる作り話の世界で「国民投票」で決める必要があるんだ?

結局、クリエイターとしての想像力が足らないから「国民投票」という名の「神のお告げ」で話を進めてしまう。それはただのご都合主義。

なぜなら劇中でやってる国民投票の結果は操作できるのだから。

脚本家は登場人物が上層部を説得する方法を考えなくてすむ。じつに安易な選択

どうしてもやりたいなら政府を説得するか反対を押し切ってでもやればいいのです。物語冒頭ではヤマトを奪って宇宙に飛び立つ暴挙をしたんですから。そういう話を作れないはずがありません。

また、もし同じ案件が現実に国民投票にかけられたらどうなるでしょうか?

生きてるかどうかもわからない人間2人のために、成功するかもわからない作戦を行って世界のエネルギー、食料、工業生産の問題を解決できるものを破棄する選択はしないでしょう。

帰ってこなかったのは古代進と森雪だけではありません。多くの人命が失われています。なのになぜ2人だけを助けるために国民投票するのでしょうか?

救出作戦に票を入れなければいけない明確な理由は劇中でも説明されません。あるのは安っぽいヒューマニズムというか自己満足だけ。

劇中の国民は2人が生きているのを知ることはできません。一人の軍人の証言があるだけです。それを行ったら助かるという保証もない。すべてが机上の計算です。

結果的に救出作戦が決行されたので「次元断層をなくしても2人を救出しよう」と国民投票で決まったのでしょう。

世論操作して「次元断層があるから敵が攻めてきたんですよ」とウソの情報を流したかのようです。そう、国民投票の結果は操作できるんです。

ガトランティスは宇宙に存在する生命を滅ぼすために活動しています。次元断層のあるなしは関係ありません。でも国民には知らされていないのでしょう。

次元断層は「中では時間が10倍に伸びる空間」というだけ。コスモクリーナーの副作用で産まれた予期せぬ副産物ですが存在そのものが悪ではありません。

確かに政府が隠していたのは悪い。でも存在を知ったのに改めて否定する必要はありません。軍拡の是非は次元断層をなくしたから問題解決するものでもありません。組織の体質の問題。

本質を考えず、見えるものに責任転嫁する短絡的な思考方法です。いかにも日本人らしい。

正直、日本のクリエイターのレベルは劣化していると思わざるを得ません。

また、別の視点から見ると。

人名救出するしないを投票で決めていいのでしょうか?
命の重さを多数決で決めていいのでしょうか?

という問題もあります。

いずれにしろ国民投票で決める問題ではありません。

でも劇中の国民は扇動されているようです。ある意味、現在の日本が抱えている問題を見ているような気がします。

ヤマト2202には復興、軍拡、国民投票など刺さりそうなキーワードが出てくるのですがいずれもが安易な使われ方をしています。中ニ病が難しい言葉を理解せずに乱用して「俺頭いいんだぜ」と粋がってるように思えます。

福井晴敏を使ったのは失敗か?

この作品は絵は2199と同じ(ラストで一部作画が乱れてますが)。でもストーリーから受ける印象はかなり違います。おそらく監督が変わったせい。ストーリー展開やセリフに福井晴敏らしさがかなり出ています。

個人の努力が些細なできごとで無意味になったり。大きな流れの中では個人の頑張りは大したことはない。それでも頑張るんだ。というのが福井作品によく見られる傾向。ヤマト2202でもそれは健在です。

「生きろ」「どんなに無様でも生き延びろ」という福井節も健在。

でも正直ヤマトの世界観には合いません。その点、2199は古い作品を現代的な解釈でリメイクしつつもヤマトらしさも失っていなかったので面白かった。でも2202は現代的な解釈というよりただの福井節です。

福井作品は僕も好きです。ガンダムUCも亡国のイージスも好きです。でも福井節はオリジナル作品でやってと思います。過去の名作を潰しましたね。

とまあ、宇宙戦艦ヤマト2202はツッコミどころ満載な作品でした。

旧作のファンの勤めと思って最後まで観ましたが。どうやら旧作のファンは置いてけぼりを食らったみたい。期待はずれでした。

 

ネット上でも賛否両論みたいですね。

出典:amazon

コメント

  1. やっぴー より:

    話を複雑に盛りすぎたのでしょう。2205はなかなか良かったと思うけど、さらば見ちゃった世代には、受け入れられないかなって思います。

タイトルとURLをコピーしました