最近、エフィカシーって言葉を知りました。
なにやら聞いたことのない言葉です。
気になるので調べてみました。
最初はまたカタカナ語持ち出して偉そうなこと言ってる人がいるよ。
と思ったんですが。
エフィカシーの意味を知るとなかなかいいこと言ってる。
もしかすると今の日本人に必要なことじゃないかなって思えてきました。
「俺はダメだ」って自虐的になってる中年男には知って欲しい言葉です。
でも、マゾな人は知らなくていいです。自虐プレイしててください(笑)。
もちろん。若い人や女性にも必要なことですよ。
「よかった」って思える人生のヒントがあるかもしれません。
専門家じゃないので理解の足らない部分はあるかもしれませんが、
僕なりに調べて理解した範囲でエフィカシーについてお話します。
エフィカシー(efficacy)・自己効力感・自己肯定感って何ですか?
エフィカシーはもともとはセルフ・エフィカシー(self efficacy)といいいます。日本語では自己効力感や自己肯定感ともいいます。
もともとは心理学で使ってた言葉です。アルバート・パンデューラという心理学者が言い出しました。
wikipedoaで調べると
自己効力感 (じここうりょくかん)(self-efficacy) とは、自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できるかという可能性の認知。心理学で用いられる。
出典:wikipedia
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なんのことかさっぱりわかりませんね(笑)。専門家ならわかるんでしょうけど、一般人には理解不能。
意味をまとめると”エフィカシーとは自分の能力を評価すること”のようです。
難しいですか?もう少しお付き合いください。
”俺(私)はこのくらいできるんだ”
”俺(私)はこのくらいの能力があるんだ”
と思うこと。
それがエフィカシー
自分を高く評価していると、
”エフィカシーが高い”と言います。
つまり。
”俺は有能な人間なんだ”と思ってればエフィカシーが高い。
”俺はダメな人間だ”と思ってればエフィカシーが低い。
ということです。
現在の地位や経済力、権力は関係ありません。思ってる内容が大事です。
たとえ貧乏でも「俺は有能な人間なんだ」と思ってればエフィカシーが高い。
大金持ちや政治家でも「俺はダメな人間だ」と思ってればエフィカシーが低い。
のです。自分の頭でどう考えてるかだけの問題です。
まだあまり知られていません
日本ではエフィカシーという言葉はあまり知られていないです。臨床心理学の世界では使われてるみたい。心理学者やカウンセラーが使ってることが多いですね。あとは一部のコンサルタントが使ってるくらい。
だから社内でリテラシーとかカタカナ語使ってる人でもエフィカシーを知らない人は多いと思います。気になる人は試しに使ってみてください(笑)。
自信、自尊心に似てる?
個人的には一般的ではないカタカナ語を使うのは好きではないです。でも自己効力感じゃ意味がわからない。もっといい訳し方はないんでしょうか。
似た意味に”自尊心”、”自信”があります。
自分は高い能力を持っている。だからやれる。
その結果、高い目標でも達成できてしまう。
ということでしょう。
”エフィカシーが高い”と”自信がある”のと同じような結果になることもあるんですね。
そういうわけで、似たような意味の”自信”や”客観性”に置き換えて考えてもいいかなと思ってます。
そういうところがすでに”エフィカシーが低い”ってことかもしれませんね(笑)。
でも分かりやすさは大切です。だって自分の意図を伝えるのって本当に難しい。なかなか伝わらないんです。人に伝わらないと意味がないです。
僕はエフィカシーの伝道師じゃありません。コンサルでもないです。自分を偉く見せて自分のノウハウや考えを売り込む必要はありません。内容を伝えるためなら単語は置きかえてしまいます。
今後も似たような意味のことは書くと思いますが、この記事以外ではエフィカシーという言葉はあまり使わないかもしれません。
エフィカシーの高い人低い人
もうすこしわかりやすく考えて見ます。
僕が理解したエフィカシーに必要なのものは、客観性。
・自分自身をどう思うか。
・自分にどんな能力があって、何ができるか。
・自分が行動したらどうなるか。
それを判断するには客観性が必要ですよね。
でも、日本人は客観的に考えるのが苦手です。
どうしても感情的になってしまいます。
そういう訓練をしてないせいかもしれないし、国民性かもしれません。
自分のことが分からない。だから自分以外の人に教えてもらわないと不安になる。
人に”認めて欲しい”。
するとどうなるか、わかりますか?
ネット依存の原因も説明できる?
自分のことがわからない人は。
自分の評価を他人に任せてしまうんです。
”いいね”が付かないと不安。
ネットにつながってないと不安。
誰かに自分の存在や考えや行動を認めて欲しい。
つまり”共感してほしい”。
もともと”共感”は人に押し付けるものではありません。でも現代人は人に共感を求めてしまう。「自分はこうなんだよ。だからこれでいいんだよ」って思えないから。
だから自分のことが分かる人は無理に他人に求めないものです。
開き直りともちょっと違う
”開き直り”と似てると思う人もいるかもしれません。
でも開き直りは低いレベルでとどまってるかんじ。
自分の評価をごまかして楽するための”言い訳”じゃないかなって思います。
エフィカシーの高い人はそうじゃないです。自分を高く評価しているから、人に評価してもらわなくても気にしない。人がどう思っても、自分は出来る。と信じてる。
もちろん世の中はそう簡単には思い通りにはならないです。でも、エフィカシーの高い人は思い通りにならなかった時の行動が違います。何が足りなかったのか、何が問題だったのか考える。次はどうすればいいか考える。
その中には撤退もあるかもしれない。でもそれは選択肢のひとつに過ぎないのです。”逃げた”と後ろめたく思う必要はありません。前進しても得られるものはない。ダメージが大きくなるだけなら、それは”挑戦”でも”勇気”でもなく単なる”無謀”、”無知”です。
ごまかしのようにも聞こえますが。ごまかしで使ってるのと本当に理解して使ってるのでは内容が違うんですね。
自信と思い込みは違う。努力と無理も違う
「でも、自分を高く評価して。常に頑張ってたら疲れるよ」
「疲れるのはごめんだね」って思いますよね。
確かにそうです。
でも、それは頑張ってるとはいわない。
無理してるんです。
見栄張って自分の評価を高く設定しすぎてる。間違った方向に決め付けてるんじゃないでしょうか。「私はこうしないといけない」って。
でも、最後に決めるのはあなた自身。
疲れて思いつめることはないんです。
人がどう思っても結局無理してつぶれるのは”あなた自身”。
人の目を気にして無理しても人は挫折したあなたを助けてくれません。
無責任な人を気にして自分が消耗するなんてバカバカしいですよね。
自信を持つのはいいことだけど、疲れたら休んだらいいんです。
目標を変えてもいい。最初決めた目標は事情がかわれば意味がなくなることがあります。そのときそのときで修正すればいいんです。「最初からそうしろよ」っていうのは実は何も理解できてない人なんです。
極端すぎる日本人・一番いいのは”ほどほど”
エフィカシーの高い人は自分のことが分かるから自分の限界も分かります。
想定外のことが起きても
「自分が知らなかっただけかもしれない。ま、そういうこともあるかもね。」
と思います。だから。
「じゃあ、こうしよう」って対策を考える。
エフィカシーの低い人は想定外のことが起ったら。
「だめだったじゃないか。間違ってたんだ」って思う。
そして。
「もう意味がない。もうやらない」って逃げちゃう。
これって日本人そのものじゃないですか?
全肯定か全否定のどちらか。○か×かの極端な選択しかできないですよね。
でも自分の考えになるとあいまいではっきり表現できない。なんだか矛盾した性質があるんじゃないかって思うことがあります。
糖質制限ダイエットがいい。って聞いたら糖質ゼロにしちゃう。逆にそれが悪いって思ったら。徹底的に否定してしまう。
戦争に突き進んだ戦前の日本と、武力を徹底的に嫌う戦後の日本。矛盾してるようですがどちらも同じ日本人。同じ人間が右向いてるか左向いてるかだけの違いです。中間ができないんですね
”過ぎたるは及ばざるが如し”
昔の人はうまいこと言いましたね。何事にもちょうどいい塩梅(あんばい)があります。どちらかに偏るのは良くないってことです。
自信を持って、でも”ほどほど”に。
でもそれをするには考える頭が必要です。これが難しい。だからいくつになっても勉強は終わらないんですね。頭使わないとボケますし。
結論:前向きな生き方の原動力
エフィカシーとは、自分のことを自分で評価すること。
自分はこういうことが出来る。こういう能力があると思うこと。
つまり客観的に自分を考えられるってこと。
それができると自信につながるし。前向きに生きられる。
自分はダメだって思うことはありません。
なかなか難しいかもしれませんが。
無理のない範囲でエフィカシー高めて「よかった」と思える人生を歩んで生きたいです。
まだまだ、”これから”と思える。
前向きな生き方の原動力がエフィカシーじゃないかなって思ってます。
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