水は答えを知っているor知らないよ

水は何にも知らないよ 読書
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水は何にも知らないよ

「マイナスイオン」「波動」
世の中には、科学っぽい宣伝文句で人々をだまして勝負する人たちがたくさんいます。

今流行の水ビジネスもそのひとつ。

僕自身はおいしい水が大好きなので色んな水を買って飲んでます。無味と思える水でもよーく味わってみると味の違いがあるのは事実。

そんな微妙な違いが面白くて飲んでます。

でも、中には「怪しい」と思える水があるのは事実。もっともらしい説明をつけてさまざまな種類の水が売られています。

そんな「ニセ科学」を利用した水ビジネスを徹底的に批判したのが、左巻健男氏の「水はなんにも知らないよ」という本。

実はこの本。タイトルをみても分かるように江本勝氏の「水は答えを知っている」を否定的にしたものになってます。

 

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「水は答えを知っている」とは

「水は答えを知っている」という本は、一時期話題になった本です。
本のタイトルは知らなくても、「言葉で水の結晶が変わる」という話は聞いたことがありませんか?

水の入った容器に「ありがとう」などいい言葉を書いた紙を貼り付けて凍らせると、きれいな結晶ができる。

「ばかやろう」などの醜い言葉を書いた紙を貼り付けると、きれいでない結晶になってしまう。というもの。

一度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか。

いろんな意味で大反響の話題書

 

もちろん、水が人間の言葉を理解することはありません。

仮に音の振動が結晶の成長に影響を与えるということがあったとしても、紙を貼り付けただけではなんの変化もありません。

水の結晶は凍るときの湿度や温度によって形が変わります。江本勝氏の実験は条件がいいかげんでした。だれが真似をしても再現できるものではありません。

写真をとるときに意図的にいい状態のものを選べばきれいな結晶になるのです。

というわけで科学者からは相手にされませんでした。

でもオカルト好きの人には受けました。

だから、この本は賛否両論でした。科学好きとオカルト好きで真っ二つに意見が分かれましたね。

それだけならただのオカルト本としてすんだのです。

ついに続編が登場。ますますオカルト化が進む

ところが意外なところで受けてしまいました。

 

教師が便乗した「水は答えを知っている」の波紋

問題なのは教育の現場で受けてしまったことです。

「人に対して悪い言葉を使わないようにしましょう」という道徳の教材として。
この本に書いてある内容が使われたんですね。

左右非対称で崩れた形の結晶の写真を見せて、水に対しても悪い言葉、汚い言葉をつかうとこんなになるんんだ。だから人間に対しても悪い言葉を使ってはいけません。

という説明に使われたのです。

「人を傷つけてはいけない」というのはのは。道徳の授業では必要でしょう。

でも、科学的に間違ったものを信じ込ませるというやり方は問題でした。人に教えるべき立場の教師が、ありえないことを信じてしまったのです。間違った考えを普及させたのはTOSSという教育方法を普及させる団体でした。

また、手っ取り早く子供に教える方法を求めていた職員にとっても便利な教材だったのです。

間違った理屈を利用して教師の教えたい内容を信じ込ませる。思想教育の材料にされたのです。

 

「水はなんにも知らないよ」

それに対して反論しているのが、左巻健男氏。
左巻氏は理科教育、環境教育の専門家。理科、環境について多くの本を書いています。
科学的知識の普及を目的としているようです。

左巻氏の著書「水はなんにも知らないよ」では、冒頭で「水は答えを知っている」への批判を行ったあと。水ビジネスへの批判を行ってます。

水とクラスター、磁力をかけるとおいしい水になる。パイウォーター、トルマリンウォーター、アルカリ水、抗酸化をうたった水。怪しい水に対して次々と批判している様子は、ニセ科学に苦々しく思っている人にとっては、胸のすく思いですね。

amazonの評価でもこの本は絶賛されています。

こういうニセ科学暴露本は、科学の知識があると自認しているものにとっては痛快な本です。

 

理系のための本では伝わらない

水はなんにも知らないよ は理系の人にとっては受けがいいと思います。

でも、もともと科学に理解のない人の心を動かせるかどうかは疑問です。

日本人が科学の知識が乏しいのは左巻氏の指摘している通りです。

でも、左巻氏が言ってるほど日本人は科学技術が大切だと認めているわけではないと思います。

科学技術に対する国の予算の付け方や、「何のやくにたつんだ」というマスコミの論調を見ても明らかです。日本人が科学技術を賞賛するのは日本人がノーベル賞をとったときだけです。

わかりやすさがなければ受けない

人々は「分かりやすさ」を求めるもの。

だから科学っぽい雰囲気が利用されている。左巻氏もそのことは認めています。

「科学っぽい雰囲気」は分かりやすさを演出するための手段のひとつにすぎません。べつに科学でなくてもいいのです。名医(実態はともかく)がおすすめ。タレントがおすすめでもいいのです。

だから、理屈を並べても人々の心は動かせないんですね。

「水は答えを知っている」が受けたのは科学的だったというよりも、ビジュアル的に分かりやすかったからなんです。

もし、江本氏が文章だけで理屈を書いてもこれほど普及しなかったでしょう。

ビジュアル的なインパクトと、分かりやすい言葉がうまくはまって人気がでたのではないかと思います。

マスコミが巧みな演出で視聴者をその気にさせるのと同じ。人の心理をうまくついて心を動かすのが上手いんですね。

人間は自分の理解できるものしか信じません。
これは科学者でも同じです。

分かりやすいものを信じてしまうという人間の心理がある限り、残念ながらニセ科学はなくなりません。

だから教育の段階で好奇心の延長線上に科学がある。ということと。理論的な考え方を教える必要性があるのです。

 

小中学生に科学を伝える活動で感じたこと

僕は企業で研究の仕事をしていました。その一方で地元の子供に理科の面白さを伝える活動にも参加していました。小中学生とその親を対象に、目の前で科学的な実験や解説をして理科に興味を持ってもらおうというイベントです。

科学の知識のない一般の人に興味を持って分かってもらうことがどれほど難しいか。つくづく思い知らされました。

いかにして興味をもってもらうか。
小学生に理解してもらうためにどんな内容にすべきか。
見せ方はどうすれば興味を引けるか。
もちろん安全性も配慮して。

このブログでもたまに理系ネタをしますが。知り合いには分かりづらいと不評です。できるだけ専門用語をはぶいて分かりやすくしようとはしているんですけど。難しい問題だと感じます。

「水はなんにも知らないよ」は大人が対象の本です。だからといって理屈を並べても興味を持ってもらえないし、理解もしてもらえません。

大人でも中学生レベルに理解できる内容でないと分かってもらえません。池上彰のテレビ番組が人気あるのも「分かりやすいから」です。

池上彰がやってるのは子供相手の説明方法そのものです。それを大人相手に行なって人気になってることを考えると。大人も意外と理解力がないことがわかります。ある意味悲しい現実です。

左巻氏は科学教育の普及に努めている人だと思ったのですが。本気で普及させる気があるのか疑問です。もう少し分かりやすさを考えてもよかったかもしれませんね。

 

左巻氏の科学の知識レベルは?

でも、この本で気にになった点はいくつかあります。分かりやすいのをひとつ。

左巻氏はマイナスイオン商法を否定しています。

でもマイナスイオンそのものは存在すると思っているようです。

マイナスイオン測定器といわれる機械で、健康器具を測定したら何らかの数値がでることがあります。その現象の説明について左巻氏はこう書いています。

トルマリンに含まれる放射性物質からの放射線による「マイナスイオン」を拾っていると考えられます

これでは、ニセ科学の説明と同じ。

放射性物質と放射線は分かりづらいです。それだけに科学っぽい説明をするときは便利なシロモノです。

なんでも放射線で解決しようという姿勢も問題です。
しかみ、マイナスイオンというものは存在しません

確かに大気陰イオンをマイナスイオンとする説はあります。科学者の中にもその説を主張している人もいます。マイナスイオンの言葉が生まれるきっかけは大気イオンの研究だったかもしれません(海外の大気イオン研究論文の誤訳です)。

でも、マイナスイオンブームのマイナスイオンとは別物。
マイナスイオンが批判されたので業者やそれを支持する科学者が後付けで引っ張り出してきたんですね。

大気陰イオンと健康器具のマイナスイオンといわれるものは関係ないです。

大気陰イオンがマイナスイオンだというのなら、最初からそのように説明すればよかったんです。でも当時は大気陰イオンだという人はいませんでした。

日本化学会は2000年ごろにはマイナスイオンという専門用語は存在しないと学会誌に載せています。

いまごろ定義の問題だと言うのであれば、ニセ科学を広めている人たちと同じです。結局は守りたい権威と派閥が違うだけの問題ではないでしょうか。

というわけで、マイナスイオン測定器はマイナスイオンを測っているわけじゃないんですね。

マイナスイオン測定器が測っているのは何かというと、空気中の微弱な電気です。
静電気にも反応するし乾電池の電極を近づだけでも反応するやつもありますよ。

左巻氏もニセ科学の術中にはまってるようですね。残念。それとも同類なんでしょうか。
科学的思考の持ち主を自認してる人でも、どこかで騙されてるっていい証明です。
理屈を言う人間は、より高度な理屈に弱いんです。
研究者生活をして得た実感です。

”科学的リテラシーが足りない”では理解されない

著書の冒頭でも日本人は科学リテラシーが足りない。と書いてます。
この本を支持する人たちの中にも科学リテラシーが大切だと書いてる人は多いです。
言ってる内容はその通りだと思います。

でも。

素人相手にリテラシーという言葉を使ってる時点でダメです。

NGです。

何の解決にもなりません。

自分は頭がいいと自慢したいだけ、上から目線になってるんですね。

そもそもニセ科学に騙される人は、”リテラシー”そのものがわからないんです。
分からないものを高めましょうといわれても、どうしようもありません。

リテラシー(literacy)とは、もともとは読み書きできる能力、識字率と同じような意味でした。
現代では理解する能力と解釈されていますが、今では理解して表現する能力、情報を活用する能力まで含まれます。

いまのこころ、一部の専門的な分野で使われることの多い言葉です。
でも、一般の人にはまだまだ分かりづらい言葉ですよね。

業界の人相手ならリテラシーでもいいです。
一般人対象の本で、あえてリテラシーというカタカナ言葉を使う必要があったのか疑問に思います。

難しく表現するのは一般に理解を広める上では逆効果です。学のある人ほどそういうことをやりたがります。評論家面して理屈を言っても人には分かってもらえません。

水はなんにも知らないよは意義のある本だとは思います。

でも、理系が理系のために書いている本。

科学的思考の持ち主という自覚のある人の自己満足に終わってるという気がしました。理系の人たちの自己満足のために書いた本ならそれでもいいでしょう。

主張したい内容や、大筋では間違ったことは書いてないと思えるだけに残念でなりません。

 

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