昨今、GIGAスクール構想によって学校で一人一台の端末が配られるのが当たり前になりました。ノートパソコンやタブレットを活用した授業が広がり「便利になった」という声が聞く一方で、問題も耳にします。
端末は本当に、子どもたちの「学び」を加速させているのでしょうか。それとも、大切な「集中」を削いでしまっているのでしょうか。学校のデジタル化の裏で起きている課題を考えます。
この記事で分かること
- 学校端末の導入によって授業の現場で起きている変化
- インターネット接続が生む学習と娯楽の境界の問題
- 現場の課題が教育政策の議論になりにくい理由
- 電子教科書や端末更新が自治体財政に与える可能性
学校端末で実際に起きていること
端末が導入されてから、授業の風景は大きく変わりました。
確かに調べ学習はスムーズになり、資料の配布や宿題の提出もデジタルで完結します。教師にとっても便利な点はあるでしょう。一見すると教育の効率化が進んだように見えるかもしれません。でも教育現場の声はそういう意見ばかりではありません。気になることもあります。
私の知人の子が通う学校でも端末が配られています。
でも授業中に授業とは関係のないインターネットを見る子がいるというのです。持ち帰って宿題にも使うが、結局はそのまま別のページを見てしまうことも多いようです。
つまり。
・動画サイトを見る
・ゲームのページを開く
・娯楽サイトを見る
・調べ学習をしているうちに別のページへ移動する
ということが起きてるようなんですね。
紙のノートの時代は状況が違いました。
教師が教壇から教室を見れば、生徒が手を動かしているかどうかすぐ分かります。ノートを書いているのか、ぼんやりしているのかも見れば分かります。
ところが端末の場合はそうはいきません。
画面の内容は遠くからでは分かりません。教師が近づいたときだけ画面を切り替えることも簡単です。つまり端末は生徒が何をしているのか外から確認しにくい道具なのです。
ネットがあれば勉強以外にも使ってしまう
学校端末の特徴はインターネットに接続していることです。
これ自体は大きな利点ですが、同時に問題もあります。
インターネットには学習以外の情報も大量にあるからです。
ニュース、動画、SNS、ゲーム、娯楽サイト。こうしたものがすべて同じ画面の中にあります。しかも指先一つで開くことができます。
これは子どもだけの問題ではありません。大人でも仕事中に関係のないニュースを読み続けてしまうことがあります。スマートフォンがあれば誰でも経験があるはずです。
でも電子教科書は学習用の道具です。これがすぐに遊びの道具になる。ここが紙の教科書やノートとの大きな違いですよね。
家に持ち帰るとさらに管理が難しい
最近は端末を家に持ち帰る学校も増えているようです。宿題や家庭学習に使うためです。確かに家庭でも調べ学習ができるという利点はありますね。
でも家庭には教師の目はありません。
かと言って親が見てるわけでもない。
宿題のために端末を開いたのに、そのまま動画サイトを見る時間が長くなってしまうことも。
こうなると疑問が出てきます。
便利な道具を与えた結果、学習時間は増えたのか?
それともインターネットを見る時間が増えただけなのでしょうか?
なぜ現場の問題は大きな議論になりにくいのか
こうした問題は教育現場では特に珍しい話ではありません。教師や親同士の会話の中では話題になります。
ところが、この問題が教育政策そのものを見直す議論になることはほとんどありません。
それにはいくつか理由が考えられます。
全体ではなく運用の問題になってしまう
こうした現場の声は上に報告しても別の形に変わってしまうことがあります。
例えば。
現場の教師の発言が。
- 授業中に遊んでしまう
- 端末のせいで集中が途切れる
だったとしても。
行政の報告書の表現では
- 活用ルールの整備が必要
- 授業設計の工夫が必要
- 教師のICT指導力を高める必要
みたいな形になります。つまり問題の原因は端末ではなく、使い方の問題として扱われることがあるのです。
これは現実の問題点を指摘すると、根性論や精神論で何とかしろと言われてしまう日本の組織にありがちな現象です。
だから問題があっても政策を見直すのではなく、現場の努力で改善するということになりやすいというわけです。
巨大な制度は途中で止めにくい
あと、もっと大きな問題としてはGIGAスクール構想は国の政策だということ。
- 端末の購入
- 学校ネットワークの整備
- デジタル教材
- コンピュータ試験
など、多くの制度と予算がすでに成立しています。
ここまで制度が整うと途中で止めることは難しくなります。計画を変更するにはこの流れを止める大きな労力が必用ですし、日本型組織にありがちな責任問題もついて回ります。そうなればだれもやりたがりません。
そのため、やめるかどうかではなく、どう使うかという議論になりがちなのです。
行政は数字で評価できるものを重視する
行政の評価は数字で測れるものが中心になりがちです。
例えば、端末の配備率、導入校数、Wi-Fi整備率など。こうした数字は分かりやすいので成果として扱われやすいです。
でも授業への集中度や、理解の深まり、読解力の変化は簡単には数値化できませんし、できたとしても時間がかかります。
その結果、議論の中心は学力の中身ではなく設備の整備状況になりがちです。
現場は忙しく問題提起まで手が回らない
一方で、学校側の問題もあるでしょう。
授業準備、部活動、保護者対応、学校行事、事務作業…
教師の仕事は多いと聞きます。そこに端末管理やネット接続トラブルの対応が加わりました。毎日の業務で忙しいため、制度そのものを検討して改善要求を出す余裕はほとんどありません。
授業中に関係ないサイトを見る生徒がいても、日常の指導として処理されます。
こうして問題は制度の問題ではなく、運用の問題として処理されてしまうわけです。
本当に学びのためになっているのか
教科書のデジタル化はいったい何のためにしているのでしょうか?役所の成果を上げるため?予算を使い切るため?
でも大事なのは
- 電子教科書によって学力が上がったのか?
- 理解は深まったのか?
- 集中力は高くなったのか。
- 読む力や書く力は伸びているのか。
- 業務の効率はよくなったのか?
という部分ではないでしょうか?
教育の目的は設備の導入でも役所の成果をあげるためでもありません。
子どもの理解と成長です。
電子教科書がその目的に本当に役立っているのか。現場で起きている問題を教育の目的と照らし合わせて考える必要があるのではないでしょうか?
電子教科書にはもう一つ別の問題もある
実は、電子教科書の問題は他にもあります。普通の報道や日常の会話だけではちょっと分かりづらい部分です。それは制度の仕組みにも少し気になる点があるのです。
最初は国の補助金が出た
公開された資料などを見ると、現在の学校端末は多くの地域の小中学校で自治体が購入して生徒に貸し出す形になっています。私の近所の学校もそうです。これは国の政策として進められたもので端末の整備には国の補助金も使われました。
でも電子教科書は一度配れば終わりではありません。
電子教科書はパソコンやスマホと同じOSが入った電子機器です。ノートパットは数年使えば性能が古くなり更新が必要になります。
電子教科書は一度購入したら終わりではありません。コンピューター関連の機器は維持が大変なのです。機器の維持は現場の苦労だけでなく。費用も問題になります。
維持は誰の負担?
最初の整備には国の補助金が出ました。
でも更新の段階になると費用は自治体の負担になる場合が多いといわれています。
ということは自治体の財政にも影響が出るのではないでしょうか?
電子教科書は学習道具かも知れませんが、大きな設備の一部です。この大きな仕組みが教育や財政にどんな影響を与えるのかも気になります。
この点については別の記事で紹介したいと思います。


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